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「四無量心」

◎四無量心

【本文】
 慈愛、哀れみ、喜び、平静な心を、常によく修めるべきです。たとえ高い境地に至らなくとも、梵天の世界の幸せを得るでしょう。
 欲望、思案、喜、楽と苦を断つ四つの瞑想によって、梵天、浄光天、広善天、広果天の神々と同じ幸せを得るでしょう。

 はい。この「慈愛、哀れみ、喜び、平静な心」――これは、Cさん、何ですか?

(C)四無量心。

 そうだね。四無量心ですね。慈、悲、喜、捨といわれていますが、つまり「慈愛」というのは衆生の幸福を願うこと。「哀れみ」――これは衆生の苦しんでるさまを、「ああ、哀れだ」と思って救いたいと思うことね。この二つを慈悲といいます。
 そして「喜び」――これは自分や他の衆生が修行を進めたとか幸福になったとか、それを喜ぶことですね。
 最後の「平静な心」というのは、自分自身に関してどんな苦しみがあっても、どんな喜びがあっても一切とらわれずに平静でいるということですね。
 この四つをしっかりと修めてくださいと。
 「たとえ高い境地に至らなくとも」というのは、つまり完全な解脱を果たさなかったとしても、この四無量心がしっかり身につくと、梵天の世界以上に行けるといわれています。梵天というのは六道輪廻を超えた、色界だね。色界といわれる、われわれのこの六道輪廻は超えてるんだけど、まだ完全な解脱ではない神の世界があります。それがこの四無量心と関係しています。よって、完全な解脱を得なかったとしてもこの四無量心をしっかり身につければ、梵天の幸せを得ますよっていうことですね。

◎色界の四つの瞑想

 そしてその次の、「欲望、思案、喜、楽と苦を断つ四つの瞑想によって」云々っていうのは、これもここでよく説明している色界の四つの瞑想ですね。
 つまりまず第一段階は欲望を断つ瞑想。欲望を断って――これは非常に簡単にしか説明していないので、もうちょっとだけ言うと、第一の瞑想はまず欲望を断ち切る。どうやって欲望を断ち切るのかというと、これが思案なんですね。ここでは思案とありますが、つまり思索によって欲望を断ち切るんです。つまりさっき言った教学をしっかりして、教学をもとに分析をする。さっきのパチンコ屋の分析とかもそうだけども、いろんな形で、自分の中に眠っているいろんな煩悩・欲望を分析して断ち切って、心が平静になった状態。これが第一の瞑想。
 第二の瞑想は、次は思案を捨てるわけです。思案を捨てるっていうのは、分析もやめてしまう。分析じゃなくて、完全なる心の中心への精神集中によって素晴らしい状態を得る。これが第二の瞑想。もちろんこの第二の瞑想は、第一の瞑想がある程度なされてないと駄目です。つまり思索によって心がある程度整理されていないと、集中によって安楽を得るっていうことは無理なんです。だから現代のいろんな瞑想を教える人がやるように、ただ座って「はい。じゃあ、心を静めて……」――これは駄目なんです。最初は徹底的に教えを学んで、教えによって自分の心のいろんな悪い部分を分析して落としていかないと――つまり心の中にいろんな悪いものがあって、整理されていない状態で座ったって悪いものしか出てこない。あるいはもっと浅い場合は悪いものにも到達しない。到達しない浅い瞑想で、「ああ、わたしは安らいでる」って言ってるだけなんだけど、全く意味がない。だからもっともっと深いところに入って、で、深いところに入るといろいろ出てきます。いろいろ出てきたものを教学と分析によってスパスパと断ち切っていく。で、断ち切ったところで、非常に静かな境地が出てきます。で、その境地に対して集中するんです。これが第二の瞑想。
 第三の瞑想は、今度は「喜」ってありますね。喜を捨てる。つまり第一の瞑想と第二の瞑想を達成すると、喜と楽というのが出てきます。これは言葉の表現なので具体的に言うと、精神的な――わたしの経験で言うとね――ウキウキするというか、ちょっと興奮にも似た喜びの感覚。それからそれとはまた別の、体中を満たす至福感。この二つが生じます。で、このうちこの精神的な興奮みたいなものの方がちょと雑なんだね。第三段階の瞑想ではこの雑な喜びみたいなものが消えるんです。ただ至福だけになるんです。これが第三の瞑想。
 第四の瞑想において楽と苦――つまり第三の瞑想で感じた至福も含めて、そういった喜びとか苦しみとか、あるいはいい状態とか悪い状態とか、そういった二元性の世界を完全に超えてしまう。一元の世界に入ってしまうのが、最後の第四の瞑想ですね。
 これが非常に簡単に、「欲望、思案、喜、楽と苦を断つ四つの瞑想」とあるけども、仏教でいう有名な色界の四つの瞑想ね。
 もう一回言いますよ。まず第一段階、教学と分析によって自分の欲望を断ち、非常に静かな心を得ますと。
 第二段階では、その静かな心の状態に精神集中をして全く心が止まった状態。そしてその中で強い喜びと至福感を得る状態ね。
 第三段階では、その粗雑な喜びが消えて純粋な至福感だけになる状態。
 第四段階では、その至福も超えて二元性を超えた世界。楽と苦を超えた世界に入りますよと。
 そしてこの四つの瞑想が色界の――ここでは「梵天、浄光天、広善天、広果天」と書いてありますが、これはいろんな分け方があるんですが、色界というのは色界全体が大きく四つに分けられるんだね。これが今言った四つの瞑想に対応してるといわれています。だから例えば第一段階の瞑想に自在に入れるようになった人が死んだら、梵天に生まれ変わりますと。で、生きているうちも、第一段階の瞑想に入れるようになった人は、この世界にいても梵天と同じ喜びを味わえますよというところですね、ここは。

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