パトゥル・リンポチェの生涯と教え(109)
◎パトゥルが、布施されたものを受け取るようになる
ほとんどの場合、パトゥルは貴重な施物を布施されると、断っていた。人生の大半はそのスタイルだった。断らないとしても、施物を丁寧に受け取ると、その施物をその場にそのまま置き去りにして去っていくのだった。
これは、ジャムヤン・キェンツェー・ワンポからある手紙を受け取った日まで、パトゥルの習慣であった。
「パルゲ、死んだ者のために生きている者から布施された富を、あなたが必要としていないことは分かるが、それを投げ捨ててはいけない。それを荒地に放置して、朽ちさせるのもだめだ。
これらの施物は、後援者が血と汗と涙によって得たものだったかもしれないのだ。そのような施物を放り投げてはいけない。善なる目的のために使う方が良いだろう。」
これを読んで、パトゥルは叫んだ。
「ディルゴ・ンゲドンが書いてきたものを見ろ! あいつはくだらんことを言うこともあるが、理にかなったことを言うこともある。今日あいつが書いてきたことは、正しいことだと思う!」
それ以来、四、五年間ずっと、パトゥルは貧しい人からも、裕福な人からも、捧げられた金、宝石、貴金属などの施物をすべて受け取り、マニ・マントラの彫刻の依頼のためにこれらすべてを使った。非常に多くの石が加えられていき、先任者のサムテン・プンツォクが建てた最初の壁よりも、広さ、高さ、長さにおいて、さらに大きな新しい壁ができた。このようにして、「次のパルゲが大きさを二倍に拡大するだろう」という予言は、成就されたのだった。パトゥルは、彫られた石のその彫刻が美しく、非の打ちどころなくはっきりとしていて、精巧で、良く仕上がっているかどうかを自ら慎重にチェックしつつ、仕事を監督していた。
パトゥルはこう言っている。
「神聖なるものを作ることは、衆生を利する。しかし粘土の壺や像は雨水で壊れてしまうし、黄金の像はしっかりと警護していないと盗まれてしまう。フレスコ壁画やタンカはもろい。寺院は管理者が必要だ。管理者を持てば管理者を支えなくてはならなくなるし、しっかりと仕事をする人を見つけるのも大変だ。経典は損傷しやすいし、どこかに置き忘れてしまうこともよくある。木版に経典を彫刻するために資金援助をするとしても、九回校正をしてそれでもなおミスが見つかることもある。加筆せず、文字のミスもなく、文字が混同していない完璧な木版を仕挙げるのは非常に難しい。
十万個のマニ石の壁は、奉納すれば、もうそれで完成だ。夏の雨漏りも、冬の雪も心配する必要がない。マニ壁は、掃除をしたり清潔にする必要もないし、鳩やネズミから守る必要もなければ、寺の管理者を支えなければいけないというような心配などもない。
六音節のマントラがひとたびちゃんと彫られれば、それ以上チェックする必要が全くない。誰もがそのマントラを暗記しているから、見本を見せなくてもよい。マニ・マントラは、ブッダの八万四千の教えが六節に凝縮されたものとして、ブッダによって祝福されている。
要するに、その他の神聖なるものを作ることは、木の枝を持ち上げようとしているようなもので、マニ壁を建てるのは、木の根を降ろしているようなものなのだ。たとえこの国全体が侵略者でいっぱいになったとしても、それらの石が盗まれたり破壊されるのではないかと心配する必要はない。マニ壁は幾世代にもわたって続いていくだろう。
マニ壁の基盤を築けたら、閻魔がわれわれの善業と悪業を秤にかける際に、このマニ壁の重量が善業の秤に加えられると、人々はよく言っていた。
本当に、このマニ壁は、ジャンブ川からとれる純金で作られた土台よりも良いものなのだ。わたしには高価なものを捧げることはできないが、全大地がマニ石の基盤であると考え、口と心で熱心に祈りを捧げることができる。その功徳を量ることができたら、相当な重さになるのではないだろうか?」
いずれこのマニ石を見、聞き、思う、幾世代に渡る無数の人々を利するために、パトゥルはマニ壁を祝福した。パトゥルはよくこういうふうにも言っていた。
「これらの石に供物を捧げ、礼拝し、周りをまわる者たち、あるいはこの石がある方向から吹いてくる風に触れただけの者たちでさえ、もう二度と輪廻に戻ってくることはないだろう。」
パトゥルは、ゾクチェン・リンポチェ五世、テュブテン・チョーキ・ドルジェ、ケンポ・シェンパ(ギャルセ・シェンペン・タイェの転生者)、偉大なるケンポ・ペマ・ドルジェ、ケンポ・コンチョク・ウーセル他、約千人の僧たちにグヒャガルバ・タントラを説いた際、パルゲ・マニ壁の聖別式を丸二日間執り行なうように彼らに頼んだ。
儀式の前に、パトゥルは長いシルクの儀式用のスカーフと銀塊を、ゾンサルの偉大なる全智の持明者ジャムヤン・キェンツェー・ワンポに送り、新たに拡大したパルゲ壁の聖別式を行なってくれるように頼んだ。
ジャムヤン・キェンツェー・ワンポは同意したが、彼は半永久的に隠遁修行に入っていて旅に出られないので、遠く離れたところから聖別の儀式を執り行なうと言った。
サフラン色に色付けした大麦を小さな小包に入れて送り、それを太陰暦の六か月目の十日目に投げるように言った。
その日が来ると、皆は聖別式の準備をし、お香と焚いた。
キェンツェー・リンポチェは遠く離れたところから祈りを行なった。
パトゥルは言った。
「老いぼれキェンツェーは今ここにはいないが、あやつはときどき普通じゃないことをしでかすから、見ておれ!」
彼らは聖別の儀式を執り行ない、キェンツェー・リンポチェの大麦を投げた。儀式が終わると、大きな雲が頭上高くに現われた。マニ石の上に、突然、大麦の大雨が降った。
それらは、キェンツェー・リンポチェが送ってきたサフラン色に色付けされた一握りの大麦と全く同じ色の大麦であった。
この出来事を見たあとに、パトゥルはこう言った。
「ディルゴ家の”あのトゥルク”は、まるでインドの大成就者みたいじゃないか!」
さらに驚くべきことに、それから三日間ずっと、花の雨がパルゲ・マニ壁に降り、辺り一帯が花で覆いつくされたのだった。
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