「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第11回(10)
◎大いなる誇りを持って突き抜ける
はい。じゃあいったんね、これで終わりにして、全体的に質問ある人いますか? 特にないかな?
今日はまあ大事な話をいろいろたくさんしましたが、その中でも大事な――最もね、大事なことをいくつか言うと、まず一つは、一番最初に言ったね、「われは菩薩である」と。あるいは、「神の子である」と。完全にわれわれの人生っていうのは、そのために生まれてきたんだと。そういう自信を持つと。もう傲慢なぐらいでかまわない。自信を持ってください。ね。つまりその誇りのもとに生きると。もちろん低いプライドは駄目ですよ。低いプライドは捨てて、誇りを持って生きる。
あのさ、一般的によく修行とか、あるいは宗教とかの世界で、例えば仏教とかヨーガやってる人も、「おれは修行者なんだから、みんなとは違う」っていう、そういう選民意識っていうか、そういったのを持っちゃ駄目だっていう人がいるけど、そんなことはありません。もちろんね、そういう、なんていうかな、低い、けがれた選民意識みたいなプライドは駄目なんだけど、そんなことは当たり前です。そんなことは皆さん分かってるでしょ? そういうみんなを蔑むような気持ちを持っちゃいけないなんて、そんなのは言われなくたって分かってます(笑)。ね。だからそんなのは、それが分からない人にはそう言ったらいいけども、皆さんはそんなのは分かってる。それは分かったうえで、正しいプライドを持ってください。「われは菩薩である」と。ね。「われは何にも、悪魔にもやられない、煩悩にも負けない、どんなけがれにも侵食されない神の子である」と。「神のしもべである」と。「誰がわれわれに勝てるか」と。あるいは「われわれの人生っていうのは、ただそのためだけに捧げられてるんだ」と。「だからわたしは偉大なこの道を誇りを持って歩こう」という気持ちをしっかり自信として持ったらいいね。だからそれを常に忘れないようにしてください。
まあラーマクリシュナもよくそういうことを言うけどね。ライオンが羊の子に育てられて、まるで自分が羊のようにピャーピャー泣いてると。でも鏡で自分をライオンだと分かって、やっとガオーッっと咆えると。ね。このような状態に今皆さんはいるんだね。うん。だからそれを誇りを持ってください。「われは菩薩なり!」と。で、その「われは菩薩なり」っていう心によって、日々けがれを打ち砕くんだよ。なんか変なことやりそうになったときにね、例えば誰かを嫉妬しそうになったと。あるいは、お供物自分が小っちゃくてムッとしたときに、
(一同笑)
「なんでおれだけ小っちゃいの?」っていうときに、「われは菩薩なり」と(笑)。
(一同笑)
「菩薩がお供物の小ささなんか気にとめるか」と。「いや、逆に自分が小さい方を取りたいっていうのが菩薩じゃないか」と。で、そこで頑張るんでもないんだよ。「あ、そうだ! 菩薩はこうだから頑張ろう!」じゃなくて、「おれ菩薩だから!」と。ね。「まかせて!」と。ね。「おれ、ちっちゃいので喜びだよ」と。ね。そういう、なんていうかな、純粋なっていうか、単純なというか、感じになれるといいんだね。誇りによってね。
で、これは、なれるんです。ちょっとはそこで、もちろん心の背伸びみたいのがある。でもね、さっきも言ったけど、菩薩っていうのは、ちょっと頑張るぐらいでいいんですよ、修行っていうのは。当たり前だけどね。背伸びするぐらい、頑張るぐらいでいいんだよ。うん。ちょっと、なんていうかな、冷汗かきながらね、「いやあ、菩薩ですから!」(笑)。ちょっとウーッてなってるんだけど、「大丈夫? 大丈夫? 今苦しくなかった?」「そんなわけないじゃないですか!」と(笑)。「そんなわけないじゃないですか、バカにしないでください」と。ね。ちょっとはやっぱり苦しい。あるいはちょっとはなんかこう、「え? ちょっと勘弁してくれよ」みたいのが出てくるんだけど、でも背伸びするんだね。「え? バカにしないでください」と。「菩薩ですよ」と。「わたしは――何度も言うけども――何生も前から菩薩道歩いてきてるし、もしかすると前生ラーマクリシュナの弟子だったかもしれないし。あるいはもっと過去において、シャーンティデーヴァの弟子だったかもしれないし。いや、それどころかクリシュナの友達だったかもしれないし(笑)。ね。ラーマ様のために尽くしたこともあったことがあったかもしれない、このわたしが、お供物が小さいとか、そんなんで心動かすと思いますか?」と。「わっはっは」と。でもちょっとは動いてるんだけど(笑)。
(一同笑)
背伸びして。「いやあ!」とね。あるいは人からバーッて言われたとしても、「いや、そんなんでわたしがなんか嫌悪したりすると思いますか?」と。「バカにしないでください」と。「わたしにはね、偉大な師がついていらっしゃるんですよ」というぐらいでちょうどいいです。うん。これによって日々の、なんていうかな、けがれとか、悪しきカルマを打ち破る。
だからそうじゃなくて、「おれって駄目なやつなんだけど、修行しなきゃいけないんだよな……」――これじゃ打ち破れませんよ、そりゃあ。「おれ駄目なんだよな。おれカルマ悪いんだよな。でも修行って、これやらなきゃいけないんでしょ?」――こんなんじゃ(笑)、打ち破れるわけないよね。ちょっとはできるかもしれないけど、なかなか難しいですよね。
で、もう一回言うけども、しかも人生は短い。ね。人生は短いんだったら――ちょっとまた別の角度から言うけどね、「おれは菩薩だ!」って、これは事実なんだけど――一応夢って言うけどね、一応夢っていう言い方で言うけども――「おれは菩薩である」と。「完全なる神のしもべである!」っていう夢を見て突き抜ければいい。ね。一つのこれ言い方としてね。自分で、「え? そうなのかな?」って思っても、そんなのはもう排除してください。その大いなる誇りを持って突き抜けてください。何度も言うけど、短いから。人生ってね。
仮にですよ、これ、わたし事実だって言ってるけども、仮にこの中に一人ぐらいそうじゃない人がいたとしてもね(笑)、かまわない。仮に違ったとしても、それで突き抜けたら、そのメリットっていうのは大変大きい。うん。みんなは実は何生も修行してる菩薩だったけども、一人だけ全然菩薩じゃなくて(笑)、今生やっと始めた――今生初めて菩薩の道を歩んだ人だったんだけど、みんなと同じで、「お、そうか」ってやって(笑)。
(一同笑)
「菩薩だ!」ってやって(笑)。
(一同笑)
「おれに誰がかなうか!」と。でも本当は全然駄目なんだよ。全然駄目だからもうボロボロになってるんだけど、その誇りによって、「バカにしないでください。菩薩ですから全然大丈夫です」って言って突き抜けられたら、それはメリット大きいですよ。その人の人生っていうのは、その誇りによって守られたものになるから。だからそれが第一の話ね。
◎祈り
で、第二に重要な話は、祈りの話ね。これも何度も言ってるけども、皆さんが祈るとき、そこに神はいらっしゃいます。あるいは皆さんが神を本当に――本当にっていうのは、もう一回言うけど、強さっていうよりは方向性としてね、本当に神のことを純粋に思ったときっていうのは、神はいます、そこに。あるいはね、もっと言うとね、神の話をしただけでもいます、そこに。何度も言うけど、来るっていうんじゃないんだよ。いるんです。神の話をしたとき、もしくはわれわれが神を心に浮かべたときっていうのは、いるんです、普通に。うん。
で、それを信じ、そして祈る。ね。なんかあったら祈ればいいんです、変な話。まさにその、お母さんみたいなもんだね。うん。赤子とお母さん。われわれは赤ちゃんだと。ね。赤ちゃんなんだから、お母さん呼んで当然でしょ? あるいは赤ちゃんなんだから、それはなんか言えば叶えてくれるよ。それくらいの、なんていうか、捧げた心っていうかな。
だからこの今の、一と二の教えを身につけるだけでも、皆さんの苦悩はかなりなくなるはずです。「おれは菩薩だ!」っていう気持ちと、「なんかあったら祈れば絶対大丈夫」っていう気持ち。これがあれば、まあ相当苦しみなくなるでしょうね。あるいは不安とか恐怖とかなくなるでしょう。
じゃなくて、それをやってもなくなんないってことはありえないんだけど、やらないから駄目なんだね。もしくは忘れるとか、あるいはその方向性を間違えるんだね。さっきも言ったように、言葉上では祈ってても、それを否定する気持ちをいっぱい修習するとかね。「どうせ……」みたいな感じ。あるいはさっき言ったみたいに、菩薩の誇りを忘れるとかね。これによってどんどん苦しみに入っていく。で、「ああ、なんか、先生が言ったことやったけど全然だな」ってなってしまう。それはやってないんです。
だからそれはぜひその、また――まあ何度も言ってることではあるけども、あらためて実践したらいいね。菩薩の誇りを持つ。そして神の実在と、そして祈りの力を信じ、祈ると。ね。
簡単でしょ? 大乗仏教とかバクティヨーガって、簡単なんです。よく言われるんだけど、易行、つまり「易」って安易の易ね。つまり簡単な行と。最もやさしい、できるだけ、この苦界において、カリユガにおいて、衆生が目覚めることができる、やさしい道を至高者は表わしてくれている。それが大乗仏教であり、バクティヨーガなんだね。
しかしやさしいんだけど、みんなやらないんだね(笑)、なぜかね。だってやさしいって――もう一回言うよ。「誇りを持て」と。「菩薩であれ」と。そしてもう一つは、「祈れ」と。それだけでいい。だからこれを真剣にやるだけでも、皆さんの人生っていうかな、魂の道っていうのは大きく変わってくるでしょう。
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