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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(47)

◎パトゥル、森の中で教えを与える

 人里離れたアリの森で、パトゥルは三年以上の年月をかけて、ニョシュル・ルントク、そしてミンヤク・クンサン・ソナムなどの幸運な弟子たちに、ロンチェンパの「安らぎを見つけるための三部作」についての多岐にわたる教えを与えた。まずは、パートⅠ「心」から教えを説き始めた。
 まずパトゥルは、読誦による伝授と口頭による解説を与えた。次に、実際の瞑想方法の指示を与えた。それから、今しがた学んだ瞑想を実践させるために、弟子たちを送り出した。
 パトゥルは、それぞれの修行に完全に精通するようにと、弟子たちに要求した。
 弟子たちが瞑想を終えると、パトゥルは弟子一人一人と会って、瞑想中に起こった個々の経験を聞き、それぞれの弟子に個人的な助言を与えた。

 三年以上の年月をかけて、パトゥルは教えを与えた。最初の年、教えの伝授は夏に始まり、準備修行の解説から行なわれた。天候は温暖で、地元の遊牧民たちが修行者たちのために食糧の布施をしてくれていたので、食糧はたくさんあった。
 時が経つにつれ、天候は悪くなり、食糧は少なくなっていった。
 スルカルという名の白ツツジの根で、彼らはお茶を淹れた。パトゥルはそれを三身茶(三つのカーヤのお茶)と呼んだ。一つのお茶に三身(ニルマーナカーヤ【変化身】、サンボーガカーヤ【報身】、ダルマカーヤ【法身】)が含まれており、それぞれが、変化身茶、報身茶、法身茶というわけである。
 朝のニルマーナカーヤ茶は、濃く出て、色も香りも味も強い。昼のサンボーガカーヤ茶は、朝食のときに淹れたお茶に水を足してつくる。晩のダルマカーヤ茶は、昼の薄くなったお茶の残りからつくるのである。実際、そのお茶は、普通のお湯とほとんど変わらなかった。無色、無味、無臭だったのである。

 パトゥルはおどけてこう言った。

「ダルマカーヤとは、本質的な実体を持たない絶対なる本性――これこそダルマカーヤ茶だ。このお茶には、まさにほとんど何の実体もない!」

 師と弟子たちは、何周間もの間を、何の固形物も食べずに、三身茶だけで過ごした。そして冬が終わるまでには、食糧は非常に少なくなってしまった。
 そのときは、彼らは朝食に少量のツァンパとお茶、そして昼食には少量のツァンパの練り粉だけで生活した。
 そして最後には、それも尽きた。
 一、二度、彼らは冬の間に餓死した野生動物の死体を見つけた。あるときは、遊牧民が捨てた畜牛の死体を見つけた。そのような動物の死体は、一般的には食べるには臭すぎる。だが彼らはそれらでスープを作り、食べたのだった。

 教えがすべて説き終わる頃に、恐ろしい赤痢という伝染病が谷で流行り出した。そのときパトゥルは、弟子を散らばらせて、さらに森の奥へと入り、独居修行をして暮らすように指示した。

 伝染病から避難してきた人々が、森に流れてきはじめた。パトゥルは彼らに教えを説き、ここにとどまってダルマを実践するようにと促した。最終的にパトゥルは、弟子のパルチェン・ドルジェに命じて、それぞれの隠遁場所に散らばっていた弟子たちを呼び戻させた。

 戻ってきたとき、彼らの体はガリガリになっていた。法衣と経典以外、彼らは何も持っていなかったのである。彼らの振舞いは穏やかで、落ち着いていた。彼らは長い外套を着ており、僧の杖と托鉢用のお椀を持ち歩いていた。パトゥルは嬉しそうに、焚いたお香を振りながら彼らを出迎え、こう言った。

「なんてこったい! お前たちはまるで、古のインドのビクシュ(乞食修行者)ではないか!」

 月歴の五月の頃になると、高原地帯の草原に草が生い茂り、緑色に変わった。地元の遊牧民たちは、また食糧をたくさん手に入れ、再び定期的に布施ができるようになった。ある者は巨大な『ツ』――ドリのバター、チーズ、糖蜜を輪っかの形に固めて作るおいしいケーキ菓子――を作って、パトゥルに供養した。
 パトゥルは、ツの供物は弟子たちで分けるように指示をした。その日は、皆がたくさんの食事の供養を受け、火を起こす必要さえなかった。
 後にルントクはこのように批評した。

「最近の修行者は、精進が足りない。修行環境は良いのだが、それを生かすことができていないのだ。もったいない! 私の時代には、われわれは常に苦難と対峙していたのに、それでも全員が修行を一生懸命行なっていた。今は修行環境が良いのだから、できるだけ多く修行を行ないなさい。」

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