パトゥル・リンポチェの生涯と教え(40)
◎パトゥル、模範的な僧に出会う
シャブカルに会いに行く道中で彼が亡くなったことを知ったパトゥルは、南東へと旅の方向を変えて、ジョナンの伝統とカーラチャクラの系統の重要な中心地であったザムタンに向かった。
その地には、ツァンパ・ゲロン・ンガワン・チョジョルという名のラマが住んでいた。彼は模範的な僧として有名で、二百五十三の出家僧の戒を非常に厳格に、清らかに守っていた。そのラマが住んでいる場所の近くにある寺院の周りを回っていたパトゥルは、窓際に座っているそのラマを見つけた。上を見上げて、パトゥルは笑いながらこう言った。
「テーへー、あの僧は、二つ以上の戒を破っているではないか!」
それを聞いたラマは、すぐに下に降りてきて、パトゥルに謝り始めた。
「アーディ! 私が認識している限りでは、わたしは生涯一度も、たった一つの戒律さえ破ったことがありません。しかし、心は常に動いています。常に雷光のような速さで変化しています。わたしが気づかぬ間に、心に考えが浮かんでいる可能性は、十分にあり得ることです。わたしが知らず知らずのうちに、戒律を破ってしまっていたこともあったかもしれません! どうかわたしに、心が散漫にならない状態を持続する方法を教えてくださいませんか?」
パトゥルは非常に喜んで、こう言った。
「ハ! あなたは良い耳を持っていらっしゃる。私が言ったことをちゃんと聞いていた!」
パトゥルはツァンパ・ゲロン・ンガワン・チョジョルからカーラチャクラの伝承を受けた。そしてパトゥル自身はそこで千人以上の人々に、アサンガのウッタラタントラ・シャーストラについての教えを、クンキェン・ドルポパ・シェラブ・ギャルツェンの解説を用いて説き、そして同様に入菩提行論の教えも説いた。
その後、この地域を悩ませていた悪霊たちが鎮まり、長年にわたってずっと平和が続いたと、その地の人々は言っていた。
ザムタンから、パトゥルはそのすぐ近くにあるヤルルン・ペマコに向かった。そこは、ゴロクのドゥドゥプチェン一世、ジグメ・ティンレー・ウーセルの活動の中心地であった場所である。ドゥドゥプチェンは、その人生の後期を過ごした僧院をその地に建て、ド・キェンツェーを含む名だたる弟子たちに教えを説いたのだった。
当時、ロンチェン・ニンティクの主要な系統の保持者であったギャルセー・シェンペン・タイェがヤルルン・ペマコに住み、ジグメ・ティンレー・ウーセルに代わって政務を行なっていた。