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「入菩提行論の歌 PART3
第6章 忍辱の完成
Kshanti PARAMITA
THE PERFECTION OF Forbearance」
作詞・歌:Keisho.Matsukawa
作曲・演奏:Yuri.T
録音・編集:T.Takahashi
遥かな過去世から
積み上げた無数の功徳の
すべてを怒りは
一撃で打ち壊す
怒りに等しい罪悪はありはしない
忍辱に等しい苦行もありはしない
心に怒りという
矢じりのあるあいだは
寂静も 安心も
喜びも ありはしない
憎しみにとりつかれて
友からも嫌悪されて
安らぎを得られずに
彼は地獄の荒野をさまよう
このように怒りこそは
さまざまな苦しみ生む
敵なりと認識して
怒りを殺せば安楽を得る
望まないことが起きて
望んでること挫折し
憂悩が生じたなら
怒りが生じわたしを殺す
それゆえに
もし望まぬことが起きたとしても
憂い捨て 悩まないで
決して怒ることなく歓喜する
もしそれに解決法があるならば
悩むことは意味がない
解決法がないとしても同じく意味がない
安楽は得難いもの
苦しみは得やすいもの
しかしただ苦しみこそ
輪廻を超えるための因となる
ゆえにさあ わが心よ
堅固なれ 解脱のため
臆病をかなぐり捨て
どんな苦しみさえも乗り越えよ
まず軽い苦しみを
耐え忍び 訓練して
それにより より大きな
苦に耐えられるようになれ
雨や風 暑さ寒さ
つらい旅 ケガや病
どんなときも弱気になるな
でないと災厄は増大する
ある者は 自己の血を見、奮い立つ
しかし弱き者たちは他人の血を
見ただけで意気消沈に至る
それはただ その心が
臆病か堅固なるかに由来する
それゆえに
苦に征服されないものとなれ
賢者なら 苦しくとも
清らかさ 捨てはしない
なぜならば 煩悩と
戦っているのだから
己の胸で 敵の打撃を
受け止める者は 雄々しき者なり
彼こそは 勝利者で
勇者であり 敵に勝つ
苦しみは素晴らしい
慢心を滅して慈悲が育つ
悪を恐れ
ブッダへの渇仰心が増大する
胆汁は 苦しみの
原因となるけれども
それに対し 怒ることは
普通はありえない
それならば なぜわたしは
人に対し 怒るのか
彼らもまた
条件によって苦しみ与える
一切は
生起するその前に存在せぬ
それならば なにものが
発生しようと願う
一切は 他に依存し
存在は化現のように
独立も主動もない
ならば何に怒るのか
ゆえに敵 または味方が
どんなことしようとも
すべては縁起とみて
心安らかに保て
人々は 怠惰ゆえに
茨、とげ 食の欠乏
愛欲やその他により
怒りを発して悩む
首を吊り また飛び降り
毒を飲み
愛しい自己さえ殺す
その彼らが
なぜ他を害さないか
これらの煩悩で
狂い 破滅向かってる
衆生たちに慈悲をもたず
なぜ怒りを発するか
もし人を苦しめる
ことが愚者の 本性なら
それに対し怒るのは
炎の熱さを怒るようだ
もし人の本性は
清らかであるならば
大空を怒るようで
これもまた意味がない
直接の原因の杖でなく
杖を使い殴った人 怒るならば
そのおおもとの怒りを怒れ
前生でこの私は
苦しみを人に与えた
それゆえに今苦痛を
受けるのは当然
彼の刀と私の体の
二つが苦痛の原因である
彼は刀をとり 私は
この苦蘊の身をとった
そのどちらに
ああ怒りを
発するべきだというのだろう
触れるのも耐えがたい
この身をとったのは
このわたし
愚か者のわたしは
苦しみを望まぬのに
苦しみの原因を
なぜか望み修習する
苦しみは すべて自己の
悪業に起因する
それなのになぜ他人に
怒りを発するのか
地獄の苦しみは
ただカルマから生じる
現在の苦しみも
同様にわたしのカルマ
加害者があらわれるのは
ただわたしのカルマゆえ
それにより彼らは地獄へ
落ちてゆくかもしれない
そう、彼らのおかげで
わたしのカルマは消える
けれども彼らは
悪業を積むことになる
それゆえに私こそが
彼らの加害者であり
彼らは私の
恩恵者にほかならぬ
卑賎な我が心よ
何ゆえに顛倒して
そのような彼らに
ああ怒りを発するか
害を受け それに対し
害により 返すならば
わたしの修行は破れ
縁ある衆生は救われない
わたしへの他の悪意は
わたしが嫌うほどに
今生や来生で
わたしを害すだろうか
わたしの持ち物が
他者により害されても
死とともにそれらは消える
しかし憎むなら悪業は残る
よこしまに 長く生を
保ってゆくくらいならば
今日にでも死んだ方がましである
この貴重な
人身を 活かすことなく
世俗の楽 むさぼっても
死の時には すべて奪われ
裸でわたしは去り行く
真理を無視して
徳を積むこともなく
悪をなし生きるなら
生きる意味などない
人に対し向けられた
ののしりには寛容でも
自分へのののしりは
君はけして許さない
なぜ君はそのために
今君が苦しむような
過ちを過去になしたか
すべてはただカルマなり
わたしは衆生が
互いに慈愛のある
心ある者となるよう
さあ修行に励もう
隣の家が火事で
我が家の藁などに
燃え移りそうな場合は
それは外に投げ出される
同様に心が物に
執着し
それが怒りの炎に
焼かれそうなとき
直ちにそれを投げ捨てよ
この世のわずかな苦痛
耐え忍び それによって
地獄を避けられるなら
なんの不幸がそこにある
もし君が 今わずかな
苦しみも耐えられぬなら
なぜ地獄の因である
怒りを除かないのか
怒りのため 過去にわたしは
数千回、地獄に落ちた
そしてそれは自己のためにも
他のためにもならなかった
この世の苦しみは
地獄ほどのものではなく
耐えるなら大いなる
利益をもたらすものなり
我が心よ なぜ汝は
徳のある人を称え喜ばぬか
それは君に
大きな利益をもたらすのに
自己がもしほめられると
皆もそれを喜ぶよう
望むのに 他の場合は
なぜそれを喜ばない?
一切の衆生の楽を
願いて菩提心を
起こしたはず なのになぜ
衆生のわずかな楽、邪魔するのか
衆生が三界に供養されるような
仏陀になるのを君は望むのに
彼らへのはかない
尊敬をなぜ嫉妬する?
ああ他人の幸福に
怒りを発する そんな者に
いったいどこから菩提心が
あらわれるというのだろう
心よ
ああ汝は自己のなした
罪悪を悲しまぬばかりか
人の作った徳さえ
嫉妬して 苦しんでる
もし人の不幸を
君が願おうとも
すべてはカルマなり
悪しき願いは
自分をさらに不幸にするだけ
なぜなら 人の不幸を
願う心は悪魔の
恐ろしい釣り針なり
悪魔はそれを獄卒に
売り渡し 彼は汝を
地獄の釜で煮るだろう
それを知り 決して人の
不幸など 願うなかれ
もし自己が 人に称賛
されるなら 心乱れ
輪廻を厭う気持ちも
消え去るかもしれない
そして他の徳ある者を
ねたんだり
その幸福に
怒りを起こしたり
悲惨な状態となる
だとすれば このわたしが
称賛されることを邪魔する
ために立ち上がる人は
まさにわたしの守護者なり
彼らは わたしが
悪趣に落ちぬよう
守るため 立ち上がった
恩人にほかならぬ
解脱を求めている
わたしが物質や
尊敬に束縛を
されるのはふさわしくない
そのような束縛から
わたしを解放する
人々になぜ怒りを
発するべきであるか
苦しみに落ちようとしている わたしに対して
仏陀の加護によって 遮蔽の扉となった
人々に対してなぜ 怒りを発し得ようか
忍辱に等しい苦行はないというのに
もしもわたしが忍辱せぬなら
救いの機会を逃すことになる
わたしに害与える
人々は得難いもの
よってもしそんな人が
自然にあらわれたなら
あたかも家の中に
突然にあらわれた宝のよう
それはまさに
菩提行の補助者
よってこの忍辱の
修行の果報は
わたしと迫害者が
ともに受け取らなければならぬ
しかしまず第一に
迫害者に分け前が
与えられるべきである
彼が忍辱の発端だから
もし彼には忍辱を
手伝おうという気はない
だからあがめられぬというなら
ダルマも無心じゃないか
彼には加害の心
あるのだから あがめられぬというなら
加害の心もしなければ忍辱にならぬ
まさに彼の悪しき意志を
条件とし 忍辱の
修行が成立する
彼をダルマのようにあがめよ
衆生がいるがゆえに
慈愛の修行ができる
そして衆生を喜ばせれば
ブッダ方も喜ぶ
ブッダ方や菩薩方は
衆生のため自己を捨てて
地獄にさえ行くだろう
真に衆生を愛してるから
だからこそ大いなる
害与える人々へも
あらゆる善をなせ
彼らはブッダの子供
なぜ私は彼らに
召使とし つかえないで
高慢にふるまうのか
仏陀の最愛の子に
わたしは衆生を
苦しめることによって
ブッダ方を苦しめた
どうか罪をお許しください
如来を満足せしめるために
わたしは世界に召使として
奉仕しよう
皆は私の頭に足を置け
わたしを害せ
そして主よ
どうか満足したまえ
衆生の姿であらわれて
いるのはすべて 主おひとり
衆生への愛は如来を喜ばせ
目的を果たし 世界を救う
他人が何をしても
どんなに微弱な侮蔑も
発してはならない
喜びだけ与えよ
衆生を苦しめて
受けるのは 地獄の苦難
衆生を幸せにして
手にするのは ブッダの境地
さあ私は 幸福と
安らぎと 歓喜と
様々な至福を与える
忍辱を実践しよう