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「ただ衆生の利益のために」

【本文】

 菩薩の行法は無数に説かれている。まず心を浄化する行法を必ず行ずべきである。

 朝と夕に三回ずつ、三つの集まり(罪悪の懺悔、功徳の随喜、菩提回向)を転現せよ。これと、菩提心ならびに勝者(仏陀)をよりどころとすることによって、気づかずに犯した罪が消される。

 自己あるいは他の力によって、(衆生を救済する)境地に達したならば、その境地における実践を努めて修学せよ。
 
 なぜなら、何事でも勝者の子が、(衆生救済のために)修学してはならないということは全くないからである。そしてかように振舞っているものに、功徳とならないことはない。

 間接ならびに直接に、衆生の利益となることを彼は行なうべきで、それ以外のことを行なうべきではない。そして、ただ衆生の利益のために、悟りのために、一切を回向すべきである。

【解説】

 菩薩の修行は、経典などにいろいろと説かれています。しかしその中でも、まず第一優先として、心を浄化するための修行法を、必ず毎日欠かさず行ずべきです。
 その具体的な指示が書かれていますね。朝と夕に三回ずつ、懺悔と随喜と回向を行なえとあります。
 懺悔とは、自分の身口意の悪業を一つ一つ思い出して懺悔すること。随喜とは、功徳や真理のすばらしさを喜び、賛嘆することです。回向とは、自分の積んだ功徳が、衆生の幸福や悟りのために使われるように願うことです。
 具体的にはここは「三回」となっているので、それ用の詞章を唱えるのがいいでしょうね。
 そしてそれにプラスして、菩提心と仏陀を日々、よりどころとして生きる。これも実際に、たとえば五体投地とか、慈悲の瞑想とか、そういうことを日々実際に繰り返すのがいいですね。
 それらを日々実際に行なうことによって、気づかずに犯した罪が消される、ということですね。
 つまり、我々は意識的にも罪を犯してしまいますが、この世に生きている以上、気づかずに悪しきことを考えてしまったとか、無意識に相手を傷つける言葉を発してしまったとか、何気なく悪業を犯してしまうことが多々あるわけです。わかっている悪業なら具体的に修正できますが、気づかずに犯している悪業は普通はどうしようもありません。しかし上記のような修行を日々たゆまず続けることで、そのような無意識に犯してしまっている悪業も浄化されるというわけですね。

 そして次に、修行が進み、自分が他者を救うべき境地に達してきたら、その境地における実践を努力して学べとあります。
 つまり段階的に教えは変わるわけですね。修行の初期段階でやるべきことと、ある程度修行が進んだ者がやるべきこと、そして人々に恩恵を与えられるようになった修行者がやるべきことは、いろいろと違ってきます。だから自分の修行段階に応じて、学ぶべきことを学んでいくべきでしょう。

 そして最後の一文は、感動的であり、深く心に刻まなければいけませんね。

「間接ならびに直接に、衆生の利益となることを彼は行なうべきで、それ以外のことを行なうべきではない。そして、ただ衆生の利益のために、悟りのために、一切を回向すべきである。」

 マルパもミラレーパに、「身口意において、常に衆生のためになることのみをなすべきである」と説いています。これはもう、菩薩の修行の基本ですね。そのような意識を常に持ち続けなければなりません。
 そして自分の積んだ功徳、自分に与えられた幸福の種、これらはすべて、自己と衆生の悟りのためにのみ振り向けられねばなりません。そのような心持で常に生活することが大事です。そのような心持でいるならば、現世的な意味で何か損をしたり、ひどい目にあっても、心がゆれることはないでしょう。最初から、自己の現世的な喜びは、衆生のために放棄しているのですから。

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