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スワミ・プレーマーナンダ「ブラフマチャーリーたちの訓練」(1)

スワミ・プレーマーナンダ

「ブラフマチャーリーたちの訓練」

 息子に向ける母親の優しさと用心深い目を持って、バブラム・マハラジ(プレーマーナンダ)は、マトで最も重要な義務の責任――若いブラフマチャーリーの人格の形成を助けること――を負われた。至高のプラクリティの一部としてお生まれになったので、バブラムには、霊的なレベルにおいて、息子たちに向けられた母のような愛の現われが自然に生じた。彼がブラフマチャーリーに呼び掛けるときに頻繁に使用された「ベタ(息子)」という言葉は、彼の母のような態度のはっきりとしたしるしである。息子が特定の年齢に達するとき、外見上で多くの愛情を見せるだけでなく、規律と制御のもとに息子を置いておく母親もいる。息子はあまりにたくさん甘やかすことで損なわれてはならないし、自分自身で個性を育てなければならない――これが母親のたった一つの目標である。バブラム・マハラジはそのような尊敬すべき母に育てられ、マトの少年たちを訓練するのにそれと同じような手法を模倣されたように思われる。その上、彼は少年たちの前に、偉大な卓越したグルの理想的な人生との調和のうちに築き上げた彼自身の素晴らしい人格の理想を保ち続けた。彼の意図は、もっと簡単に彼らが目的を実現するのを援助するために、より(意志の)弱い少年達に生命を吹き込むことだった。

 バブラム・マハラジの日々の生活は、とてもシンプルで質素なものだった。どのようにして彼がタクルへの礼拝を行なっていたのかはすでに述べた。ガンガーへの礼拝を含む礼拝を終えたあと、彼はプラサードとしていくらかの果物を与えられ、彼が保管室の入口近くに座って召し上がったものは、プラサードとして、偶然近くにいた者達の誰かに分配された。
 その後、彼は信者への手紙に返事をされた。昼食後に手紙を書かれた日は、彼は昼の休憩をとらなかった。

 食べ物に関して、彼は来るものは何でも召し上がった。しかし1916年にコレラに襲われたあとは、彼は医者の制限に従われて、愛する兄弟弟子のシャラト・マハラジが食事の準備をされた。
 バブラム・マハラジは二つの衣服、二つのショール、二つの半そでのワイシャツ、一つのタオルだけを所持なさった。履物、傘、そしてまた長い杖を彼はよくお使いになった。彼はまた口をすっきりさせるために袋にいくつかのスパイスをお持ちになられた。旅行のときは、彼は布のカバンの中にごくわずかな必需品と、ギーターの模写を持ち込まれた。彼は毛布でさえお持ちになることはなかった。かつて彼が国外へ旅行なさったとき、ある人が彼のために良い毛布を手に入れるために、他のサードゥと交渉した。彼がマトでご使用なさっていた寝具は、マトの所有物である。

 1916年に彼がスワミ・ブラフマーナンダと共に東ベンガルに遠征なさったとき、信者が彼にたくさんの衣服とショールを贈った。
 彼がマトに戻られる日、彼はすべての僧を集められ、仰った。

『来なさい、わたしの息子たちよ。』

 30分のうちに、彼はすべての贈られた衣服を分配し、ホッと胸を撫で下ろされた。彼は仰った。

『わたしはこれらのものを所有することはできない。タクルは決して何も貯蔵なさることがなかった。』

 さらに、バブラム・マハラジが病気の療養のためにデーオーガルへ出発する準備をなさっているとき、何人かの信者が四枚のシャツを彼のために作り、彼の付き人に手渡した。デーオーガルに着いたあと、バブラム・マハラジはこれをお知りになり、付き人を叱って仰った。

『わたしはそんなたくさんの服をもつことに慣れていない。』

 あるとき付き人がいたずらで、彼の履物を似たような新しい履物と交換した。バブラム・マハラジはほとんどの時間、神聖なムードであられたので、一日、二日はそれにお気付きになられなかった。
 三日目に彼は新しい履物のことにお気付きになられ、仰った。

『この履物は新しいね。わたしの古い破れた履物はどこにあるのだ? それで十分間に合っているのだよ。息子よ、この履物を誰から乞うたのだ?』

 彼の母親は昔、彼の誕生日を祝うためにいくらかのお金を送った。しかし彼は決して誰からもほとんどお金を受け取られることがなかったので、すべてをタクルの名義にしてしまわれた。どういうわけかあるときそのことが露呈してしまい、彼の母親は注意深くなって、もはや息子の名義でお金を送らなくなった。

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