「中くらいの生命体」
◎中くらいの生命体
【本文】
中くらいの生命体は、生命エネルギーが中央気道に入って溶け込んだことによって生じる四つの空に熟達した者であり、さらに睡眠の空も経験できるならばより良いし、深い睡眠さえもその空と混合することができるならば申し分ない。
これは、こういうのが中くらいの生命体ですよと。生命エネルギーが中央気道に入って溶け込んで、さっきから出てきてる四つの空ね。四つの空っていうのは簡単に言うと、まず白い光が現われ、赤いぎらぎらした輝きが現われ、そして失神のようにバーッて暗くなって、で、その後にすごい純粋な光に溶け込むと。このプロセスを生きてる間に何度も何度も経験して熟達していると。そしてさらに睡眠の空も経験できるならよりよい。つまり瞑想時だけじゃなくて寝るときも同じような経験ができていればよりよいと。で、深い睡眠さえもその空と混合できるならば申し分ないと。これはチャンダーリーの修行で出てきたいろんなプロセスがあるわけですが、それに、優れた生命体ほど完成はしていないが、かなり慣れ親しんでるっていうことですね。
◎劣った生命体
【本文】
劣った生命体は、優れた師に弟子入りし、サマヤと戒を遵守して、生起次第のヨーガを努力して修習し、究竟次第を観想するが、まだ完全にそれらを成就できていない者のことである。
この者は、バルドの教えを学び、死の時にどのように死の光明があらわれ、どのようにバルドがあらわれるかをよく知って、それを乗り越える様々な教えを訓練しなければならない。それによって、仮に死のときまでに死の光明の悟りを得られなかったとしても、バルドの教えに慣れ親しんだ力によって、うまくバルドを乗り越えられる可能性が高まる。
ここで「劣った」って書いてあるけど、これはもちろん修行者の中で相対的な意味でですよ。だから一般の魂よりはもちろん優れている。ね。でもその前に挙げた二者に比べたら劣ってるっていうことであって、実際はこの魂も素晴らしい魂であることは間違いない。
はい、この人は、優れた師に弟子入りし、サマヤと戒、つまり戒律ですね、戒律をしっかり守り、生起次第っていうのはつまり自分が神に変身するとかそういうタイプの瞑想をいっぱいやって、究竟次第っていうのは何度も出てきてるその中央管にエネルギーを入れるとか、四つの光を経験するとか、そういった修行ね、これをやってるんだが、まだ完全に完成はしていないと。だからここにいる多くの人はこの段階だと思うね。はい、で、この人たちはしっかりとバルドの教えを学びなさいと。で、それをしっかり修習することによって、死んだ後もそのバルドの――つまり死んだ後、自然にいい状態になれればいいわけだけど、じゃなくて、死んだ後その悪いバルドに巻き込まれる可能性もある。そのときに、生きてるときにしっかりと、さっき言ったみたいにね、バルドの経典とかしっかり暗記するぐらいに読み込んでれば、死後の世界にもそのイメージが出てきて、正しくバルドを渡れるかもしれない。
ただだからといって、みなさんに例えば『チベット死者の書』とか、ああいうバルド的な経典をたくさん読めとは言わない。それは修行のタイプがあるからね。みなさんはやっぱりそうじゃなくて、『バガヴァッド・ギーター』とか『入菩提行論』――つまりね、バルドのヨーガを学ぶっていうことと、それから『バガヴァッド・ギーター』や『入菩提行論』を学ぶっていうのは、ちょっと意味が違うんだね。分かると思うけど。バルドのヨーガを学ぶっていうのは、システムを学ぶっていうことです。システムね。こうなってますよと。例えば死後の世界で神と食べ物が出てきたら、絶対神を取ってくださいっていう教えとかがあるわけだね。それをしっかり学んでいれば、死後の世界で、「うわー! ああ、神と食べ物だ!」「あ、そうだ! 神を取んなきゃいけないんだった!」――神を取って、いい世界に行けると。これがバルドの教えを学ぶっていうことです。じゃなくて、ギーターや『入菩提行論』を学ぶっていうのは、仕組みは分かんないけど結果的にそうなる。ね。つまりギーターを学ぶことによってもう、こうだからこうだじゃなくて、理由はどうあれいつも神を第一に置くような意識状態ができていれば、問題ないでしょ。死んだら、「はい、神と食べ物――ああ、神だ!」。
――だからそれがさっきから言ってる、えせバクティじゃ駄目っていうことです。みんなの前では「やはり神でしょう」と言ってるけど、死後の世界で「ああ、食べ物だー!」ってなるようじゃ救われないと。ね。『入菩提行論』もそうだね。『入菩提行論』とか例えばしっかり読んでて、しっかりとエゴをこう切り捨てる。エゴよりも衆生。エゴよりも人々の幸福っていう心の――まだ悟ってはいなかったとしても、心のそういう訓練ができてたとしたら、死後の世界でもそういう場面になったときに、やっぱり衆生の幸福とか神とか仏陀を取れる。だからそっちの方を訓練した方がいいと思うね。
もちろんバルドの教えとかもしっかり学ぶのはいいことだと思うけど。もし限られた時間があるとしたら、一生懸命死者の書とかを読むよりは、ギーターとか『入菩提行論』をしっかり読んだほうがいいと思うね。
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