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イエス・キリストの生涯(8)

◎イエスの使命

 ナザレにおいて、ある安息日の日に、イエスは、イザヤの予言がここに成就したということを主張しました。

「主の魂はわが上にあり。主が、教えを伝道し、人々を癒し、人々を自由にするために、私を選ばれたのだ。」

 これを聞いて、ユダヤ教会に集まっていた人々はひどく憤慨しました。イエスが神の子として、預言者として、世界の輝ける光として認められていても、ナザレの人々にとっては、イエスはただの大工の息子に過ぎないのでした! これらの不運な人々は、イエスをナザレから追放しました。イエスはこう言いました。

「この国では、預言者は栄誉にあずからないのだ。」

 それからイエスは、弟子たちを連れてカペナウムへと向かいました。イエスがどこへ行こうとも、人々の群衆が彼の周りに群がりました。そしてイエスはその群衆たちに「真の宗教」を伝道したのでした。
 ある日イエスは、漁網を洗っているアンデレとペテロに出会いました。そしていつものように、群衆がイエスの周りに群がってきました。イエスはペテロの船に座って、群衆に「福音」を伝道したのでした。するとイエスは、漁網を海に投げ入れて、深く沈めるようにとペテロに言いました。ペテロはあまり魚を取りたい気分ではありませんでしたが、イエスに従いました。ペテロは他の友人たちの助けを借りて、大量の魚を獲り、網を引き揚げました。するとイエスは彼らの方を向いて、こう言いました。

「わたしについてきなさい。おまえたちを”人間を捕る漁師”にしてあげよう。」

 彼らはイエスに従い、「選ばれた弟子」となったのでした。

 イエスの親類縁者たちは、イエスの立ち居振る舞いとイエスが説いている奇妙な福音についての噂を聞き、イエスが時の権力者たちの不満を買っているということに気づきました。彼らは、イエスが有頂天になっていると思い、イエスを説得して、権力者たちへの対立をやめさせようと考えました。イエスがカペナウムの湖の畔で教えを説いている時、イエスの兄弟たちと母はイエスに会いにその場所に向かいました。彼らが到着したことを知らされると、イエスはこう言いました。

「私の母と兄弟たちとは、一体誰ですか?」

 そして、その問いに対して、イエスは自分自身でこう答えました。

「わが母と兄弟たちを見よ。」

 そして、イエスの周りに座っていた者たちを指さし、こう言いました。

「神のご意思を為す者たちは誰であれ、私の兄弟姉妹、そして母同然なのだ。」

 このようにしてイエスは、未来永劫に渡って全人類に、彼との親密な結びつきを授けられたのでした。
 神の癒し主としてのイエスの名声はあまねく広がっていきました。そして人々はさまざまな病を癒してもらうために、至るところから彼のもとへとやってきたのでした。
 ある日、カペナウムのユダヤ教会の会堂でイエスが教えを説いていると、イエスのもとに、気が狂った男が連れてこられました。イエスは彼に憑りついた狂気の霊を叱責し、こう言いました。

「黙れ! この者の中から出てこい。」

 そしてこの男は正気に戻りました。

 同様に、ペテロの義母は深刻な熱病を癒され、その他にも幾百人もの人々が、イエスのたったひと触れによって癒されたのでした。
 
 ある日イエスは、おびただしい数の群衆が彼の後についてきていることに気づき、丘に登って、かの有名な「山上の垂訓」を説きました。
 イエスが丘から降りて来ると、ハンセン病患者が彼に近づいてきて、癒しの恩寵を乞いました。そしてたった一触れで、イエスはその患者を癒してしまったのでした。
 あるとき、一人の百人隊長(古代ローマの百人の兵士たちの隊長)がイエスに近づいてきて、召使いが家で病にかかっている、と言いました。イエスはその百人隊長の家に行くことを約束しましたが、百人隊長は心を込めてこのように懇願しました。

「あなたはそうする必要はありません。ただあなたが望むだけで、召使いの病気は治ってしまうでしょう。」

 主イエスは彼の信仰心を称賛し、このように言いました。

「そのような偉大なる信仰心は、このイスラエルでは決して他に見いだせないであろう。」

 そしてイエスは召使いを祝福しました。すると、物理的には遠く離れた場所にいたのも関わらず、召使いは瞬間的に回復したのでした。

 イエスがどこに行っても大勢の大衆たちがついてくるということを知って、イエスはゲルゲサに船で渡ろうと思いました。イエスが船に乗ると、一人の書士が彼について行きたいと言いました。主イエスは彼のほうを振り向いて、こう言いました。

「狐にはねぐらがあり、空を飛ぶ鳥たちにも巣があるが、イエス・キリストには、枕する場所はどこにもないのだ。」

 偉大なる主は、自分の家を持ちませんでした。しかし現在では、すべての人々のハートが主の住処なのです――そのような境地は、放棄の栄光ある結果として生じるものです。
 イエスに従う者も同様に、この世界にあるものに対する執着をすべて捨てて、世俗のものをすべて放棄し、自由を得るのです。

 また別の折、ある弟子が死んだ父親を埋葬するために家に帰りたいと言いました。その弟子に対して、イエスはこう言いました。

「私に従いなさい。死人の埋葬は死人に任せておけばよい。」

 これは、心を奮い立たせるイエスの呼び声です。

 ”私に従いなさい”――イエスはこう言っているのです。世俗の人々は、自らの真の本性を理解することに対して無神経であるのに、死んでいる人々の死や埋葬のことを嘆き悲しんでいます。そんな世俗の無意味な関心事に思いを巡らせてはなりません。自分の真の使命に気づいていたその弟子は、イエスに従いました。
 そしてイエス一行は船に乗り込み、出航しました。
 その夜、凄まじい暴風雨が猛威を振るいました。弟子たちは激しい波で船が転覆しないか心配になりました。弟子たちはイエスのところへ行き、イエスを起こしました。イエスが乗った船がどうして転覆するでしょうか? イエスは弟子たちの信の無さを笑い、暴風雨がやむように命じました。すると、ただちにすべてが静まりました。この出来事により、弟子たちのイエスに対する信は非常に強まりました。

「風や海もイエス様に従ってしまうとは。これが人間の為す業と言えるだろうか!」

 弟子たちは互いに口々にこう言い合いました。

 イエスが再び彼の都に戻ると、人々が、体の麻痺したある男を連れてきました。イエスはこのように言いながら、彼に祝福を与えました。
 
「息子よ、元気になりなさい。おまえの罪は許された。」

「これは冒涜だ!」

 律法学者たちは叫びました。
 しかし主は、「私はこの地上において、人間の罪を許す権限がある」と断言し、その病人に、起き上がって家に歩いて帰るように指示しました。そしてなんと奇跡が起こり、その病人の病は治ってしまったのです。

 主イエスは、しばしばファリサイ人や公衆から罪びとと見なされている人々と共に晩餐をとられたものでした。正統的宗教の人々は、イエスを理解できませんでした。彼は大胆にこのように宣言することで、彼らの疑念を払しょくしました。

「丈夫な人には医者はいらない。医者を必要とするのは病人だ。私は哀れみを願うのであって、犠牲ではない。私がこの世にやってきたのは、徳ある者に呼びかけるためではない。罪びとに呼びかけるためだ。」

 ある日、ある王が主のところにやって来て、こう言いました。

「私の娘が死にました。しかし私は、あなたが娘に触れれば、再び生き返ると信じております。」

 主はその王と共に、王の家へと向かいました。その道の途中にも、驚くべき奇跡が起こりました。病で大量に出血して非常に苦しんでいた貧しい女性が、歩いているイエスの衣服に触れると、ただちに癒されたのでした。
 そしてそのあと、イエスが王の家に到着し、王の娘に触れると、彼女は生き返り、起き上がったのでした。

 このようにしてイエスは、行く先々で、病人を癒し、盲目の人の眼を見えるようにし、聾唖の人の耳を聞こえるようにしたのでした。

 洗礼者ヨハネが処刑されました。それを聞くと、主イエスは、しばらく静かなところへ行って休むために、弟子たちをつれて船に乗り、荒野に行きました。しかし、群衆たちもイエスの後を追って、そこに向かいました。夜になると、弟子たちは、たった五つのパンと二匹の魚しかないのに、そこには約五千人の男たちとその家族がいることに気づいたのです! しかし救世主イエスは、天に祈りを捧げて、そのパンをちぎり、彼ら全員に分け与え、彼らのお腹を満たしたのでした。

 イエスは弟子たちに、そこから出航するように言い、イエス自身は祈りのために隠遁しました。その夜更けに、海岸から遠く離れた船の上にいた弟子たちは、イエスが彼らに向かって水の上を歩いてくるのを見て、驚きました。幽霊ではないかと思ってしまったほどです。ペテロはイエスに向かってこう言いました。

「もしあなたがイエス様であるのならば、私にも水の上を歩かせてください。」

 イエスは言いました。

「来なさい。」

 そして、ペテロも海の上を歩くことができたのでした。しかし、途中でペテロは風に怯えて、信が揺らいでしまいました。すると、ただちにペテロは海に沈み始めたのです。イエスは手を伸ばしてペテロを救助し、こう言いました。

「おお、なんという信のないやつだ。どうして疑念を抱いたのか?」

 主に信を持つ者には、この世で成し遂げられないことはありません。

 ある若い裕福な国王がある日、イエスのところへ来て、こう頼みました。

「善き師よ、永遠なる命を相続するためには、私は何をすべきですか?」

 主イエスはこう答えました。

「戒を守りなさい。」

 若い国王は答えました。

「ああ、はい。小さい頃から守っています。他に何をすべきでしょうか?」

 イエスは言いました。

「もう一つやるべきことがある。あなたが持っているものをすべて売り払って、貧しい人々に与え、苦難に耐えて、私に従いなさい。」

 この自己犠牲と放棄について触れられると、その若い国王は、背を向けて立ち去ってしまいました。主イエスは言いました。

「富豪が神の王国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方が容易い。」

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