ドドゥプチェン・ジグメ・ティンレ・オーセル1世の生涯(5)
38歳のとき、ドドゥプチェンは、ゾクチェン僧院のシンジェ洞窟に移り、そこでゾクチェン僧院へ行く必要のあった短い中断を除いて、4年間の独居修行を行いました。彼はタクポ系統の五仏のチャクラサンヴァラ、憤怒のグル・メーキルとヴァジュラキーラ・ヤンサン・ラ・メ――ともにラトナ・リンパによって発見されたもの――を修行しました。
その後、彼はシンジェ(ヤマラージャ)を瞑想し、あるとき、まるでそれが泥であるかのように、岩の上に指でマントラを書き記しました。そのとき以来、その洞窟はシンジェ洞窟として知られるようになり、そのマントラはまだ岩の上に見ることができます。
それから彼はゾクチェン・リンポチェ3世(1759-1792)からツァスム・サンワ・ニンティクの伝授を受け取り、それに基づいた短い独居修行を行い、多くの経験やヴィジョンを得ました。その独居修行のあいだ、ゾクチェン・リンポチェ3世は彼にヨンテン・リンポチェ・ゾのコピーを渡しました。それを読むと、彼の内にその著者ジグメ・リンパに対する“偽りなき献身”が湧き上がりました。
ドドゥプチェンがゾクチェン・リンポチェのところへ行くと、彼はジグメ・リンパに会いに行くように勧め、「彼に会いに行くことは、あなたにとって、独居修行を行うよりももっとためになるだろう」と言いました。またゾクチェン・リンポチェはドドゥプチェンに、「自分のためにジグメ・リンパをカムに招くか、少なくとも自分や他の者たちのために、ロンチェン・ニンティクの伝授を持って来てくれないか」と頼みました。そしてゾクチェン・リンポチェから、彼はニンティク・ヤプシや他の多くの教えと伝授を受けました。
デゲのある場所で、ドドプチェンは、渡るところが見当たらない大きな河に出くわしました。彼は河を大地のように見なす瞑想を行い、まるで乾いた大地であるかのように河の上を歩いて渡りました。まもなく対岸に着こうというとき、彼が、「おお、我が瞑想は全く素晴らしい」と思ったとたん、河に沈み、危うく溺れるところでした。そんなこともあって、その後、彼は「思考とは危険ものだ」と言い続けました。
40歳のとき、ドドゥプチェンは、3度目の中央チベットの旅に出ました。彼は、南チベットのヤルルン谷にあるツェリン・ジョンの隠遁所の近くのデパ・プシュの家で、カルマ的な繋がりのあるグル、ジグメ・リンパに初めて会いました。それは長らく音信不通だった父と息子が再会したかのような、大いなる喜びでした。
ジグメ・リンパは、「昨夜、私は菩薩と会う夢を見ましたが、それはあなたに違いない」と言いました。ドドゥプチェンはジグメ・リンパをタントン・ギャルポと見なし、多くのヴィジョンや啓示を経験しました。