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ドドゥプチェン・ジグメ・ティンレ・オーセル1世の生涯(3)

 ドドゥプチェンはゾクチェン僧院へ行き、そこでポンロプ2世サン・ンガク・テンジン(1731-1805)から、カンドゥ・ニンティクの伝授と教えを受け、それらを瞑想しました。

 それから彼は4人の僧侶とともに、2度目の中央チベットへの旅に出ました。その途中で彼は病にかかり、医者や友人たちは回復の希望をほとんど失いまいしたが、彼は薬を飲むことを全く拒否しました。それにもかかわらず、しばらくすると、ただ巡礼への思いの強さや瞑想の力によって、彼は回復しました。

 最終的に彼はタクラ・ガンポへ再度たどり着き、ガンポパ・ジュンパル・ティンレ・ワンポ5世(ツルティム・パルバル)から教えを受けました。それから彼らはヤルルン、サムイェ、タシ・ルンポ、サキャ、ツルパ、ラサ、ならびにディクンへと巡礼しました。彼はカルマパ・ドゥルドゥル・ドルジェ13世(1733-1797)からも教えを受け、カルマ・ワンタクいう名を与えられました。

 その後、彼はゾクチェン僧院に戻りました。多くの邪魔が入ったため、彼は僧院での瞑想に不安を感じ、ゾクチェン僧院からさほど遠くないカントゥ・オグマ、低い雪山に行きました。

 35歳のとき、カントゥ・オグマの人里離れた山で、3年間の洞窟での独居修行を開始し、特に夏にはトガルで、冬にはツァルンで、コンチョク・チドゥや他の多くの教えを修習しました。
 彼は素晴らしく平安な雰囲気を享受しましたが、一瞬たりとも環境を楽しむことによって心を乱すことなく修行に励むことを誓いました。
 しかしながら、一ヶ月ほどすると、大きな不安に襲われました。彼は思考、感情、そして幻影の荒れ狂う波を静めることが難しくなりました。彼は今や生命エネルギーの乱れを起こし始め、発狂する寸前の症状を呈していました。一切の現れが敵として見えました。ヤカンの中にさえ恐ろしい生き物が見えました。彼は武器を持った戦いに巻き込まれていると感じました。
 ある晩、夢の中で彼は恐ろしい叫び声を耳にし、危うくハートが引き裂かれるかのように感じました。目覚めた後でさえ、同じ叫び声が聞こえ続け、そして地面と空をつなぐ暗い柱のような光が見えました。彼の身体は激しく震えていました。耐え難い恐怖を感じ、空と大地がひっくり返っているように思えました。しかし、それから間もなくすると、一切の心を乱す現れは、彼自身の中に溶解し、“私”はただ一切の現れを投影し、経験しているに過ぎませんでした。それから“私”という概念もまた、どんなに調べても見当たりませんでした。恐れの心や恐ろしい対象は、すべて一味、つまり究極の本性の味、完全なる開放性の中に溶け込みました。彼の恐ろしい夢や経験は、跡形もなく消え失せました。
 このときのことを、彼はこう記しています。
「私は認識すべきどんな見解のあらわれも、または従うべきどんな瞑想もないという悟りを経験しました。ただ悟りの状態にとどまっているだけで、至福の経験に対する喜びと同様に、否定的な経験に対する恐れも消え去りました。」

 高い悟りに到達する直前、瞑想者が、様々な形で、つまり誘惑、恐ろしい幻影、脅かすような声、悲痛な感情などで、心、感情、習慣における最終的な苦闘を経験することは、よくあることです。多くの偉大な成就者たちは、高い悟りの状態に入る直前に同種の経験をしてきました。
 人が、隠れていたわずかな習慣によって作り出されるこのような瀬戸際の心の乱れに屈服せずに、じゅうたんから最後にホコリを払い落とすように、悟りの本性にとどまって、これら一切の最終的な障害を乗り超えるならば、それらの跡のついた心や感情の障害から完全に解放されるでしょう。
 いわゆるスムーズな瞑想経験をしている人は、「私はうまくやっているので、心を揺るがすような経験は全くしていません」と思うかもしれませんが、真実には、まだ彼は心や感情の汚れやそれらの習慣を根本から破壊していないのです。

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