「マンジュシュリーミトラ」
マンジュシュリーミトラ
マンジュシュリーミトラは、インドのブッダガヤーの西にあるヴィクラマという地のブラーフマナの家に生まれました。父の名はサードゥシャーストリー、母の名はプラディーパーローカーといいました。そして彼は、当時インドで重要視されていた五つの学問をすべて修めました。
ある日、純粋なヴィジョンの中にマンジュシュリー菩薩が現われ、次のように言いました。
「おお、善き家柄の息子よ。もしお前が今生でブッダフッドの境地に到達したいと思うなら、シータヴァナの火葬場へ行け。」
こうしてマンジュシュリーミトラはシータヴァナの火葬場へ行き、プラへーヴァジュラから75年間にわたって教えを受けました。
プラへーヴァジュラはマンジュシュリーミトラにこう言いました。
「心の本性は、初めからブッダである。
空間のような心は、始まることも終わることもない。
すべての現象は一つであるということの意味を完全に悟ること、
そのままで、探すこともないことが、瞑想である。」
マンジュシュリーミトラはプラへーヴァジュラの教えの意味を悟り、自分が理解したことを師にこう表現しました。
「私はマンジュシュリーミトラ。
私はヤマーンタカの成就を得ました。
私は輪廻とニルヴァーナの偉大なる平等性を悟りました。
完全なる原初の叡智は、私の中に生じました。」
プラへーヴァジュラが今生の役割を終え、ニルヴァーナに入ったとき、マンジュシュリーミトラは、光り輝く天空に、プラへーヴァジュラの姿を見ました。
そのときマンジュシュリーミトラは、この悲しみの歌を口にしました。
ああ、ああ、ああ! 広大な広がりよ!
もしグルの灯明の光がなくなったならば、
世界の闇を、誰が取り除くというのか?
すると空に雷鳴が鳴り響き、光の中から、親指の爪ほどの大きさの小箱が落ちてきて、マンジュシュリーミトラの右掌の中におさまりました。
小箱を開けると、中にはプラへーヴァジュラの遺言が入っていました。それは「精髄を突き通す三つの言葉」と呼ばれ、五つの貴重な物質でできた金属の上に、瑠璃色のインクで書かれていました。
それを見た瞬間、マンジュシュリーミトラは、プラへーヴァジュラと等しい悟りを得ました。
その後、マンジュシュリーミトラは、プラへーヴァジュラが説いたゾクチェンの640万の詩を、次の三つのカテゴリーにまとめました。
1.セムデ――心の本性に安住する方法を強調した教え
2.ロンデ――努力からの解放を強調した教え
3.メンガグデ――精髄のポイントを強調した教え
またマンジュシュリーミトラは、メンガグデの最も並はずれた教えであるニンティクを、次の二つのグループに分けました。
1.口頭伝授の教え(ニェンギュー)
2.解説的なタントラ(シェーギュー)
マンジュシュリーミトラは、解説的なタントラは弟子たちに伝えましたが、口頭伝授の教えを受け取る資格を持つ立派な弟子を見つけることができませんでした。そこで彼は、ブッダガヤーの北東のある場所で、十字ヴァジュラのしるしをつけた丸石の中に、その教えを隠しました。
マンジュシュリーミトラは、ソーサドヴィーパの火葬場で109年間過ごし、その間、瞑想に没頭し、また無数のダーキニーたちとともに高度な修行を行ない、また弟子たちに教えを説きました。そしてシュリーシンハにゾクチェンの教えを与えました。
今生の死がやってきたとき、音、光線、輝きなどの不思議な兆候があらわれ、マンジュシュリーミトラは光り輝く身体の中に溶解しました。
そのとき、シュリーシンハの熱烈な祈りの力によって、マンジュシュリーミトラの遺言の言葉である「六つの瞑想経験」が空からシュリーシンハの手の中に落ちてきました。
以下はその一部です。
おお、善き一族の息子よ! もしお前が、絶対なる裸の明智の連続性を見たいならば、次のようにせよ。
【1】明智の対象を探せ(晴れた空)。
【2】身体のポイントを押せ(正しい座法)。
【3】行くことと来ることの道を閉じよ(呼吸の制御)。
【4】標的に集中せよ(ビンドゥ)。
【5】不動であれ(肉体、眼、覚醒した意識)。そして、
【6】広大なる空間を占有せよ(それ自身の明智の本性)。
グル・シュリーシンハとグル・ブッダジュニャーナは、マンジュシュリーミトラの弟子です。また、彼らは同一人物であるという説もあります。
そののちマンジュシュリーミトラは、西インドの「黄金の華で飾られた島」という場所において、蓮華の花から奇跡的なかたちで生まれ変わりました。この生まれ変わったマンジュシュリーミトラは、「後のマンジュシュリーミトラ」として知られ、グル・パドマサンバヴァとグル・アーリヤデーヴァに、ゾクチェンの教えを与えました。
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