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「ほんの一掴みの者のみが」

◎ほんの一掴みの者のみが

【本文】
 真智を求めて努力する人は、おそらく数千人のうちの一人か二人だろう。
 そうしたまれな求道者たちのなかでも、私を真に知るに至るのは、ほんの一掴みの者のみであろう。

 はい。真智ね――つまり正しい完全なる真の智慧――を求める人っていうのは、数千人のうち一人か二人だと。これはみなさん分かるよね。数千人に一人よりもさらに少ないと思うね。それはみなさんの周りとか、あるいは世界を見れば分かると思う。つまり真の智慧、真実を私は探求したいんだと――それはね、修行以外でもいいよ。例えば科学者でもいい。科学者もある意味での修行者だね。真実っていうものを物理的手段で、実験とか仮説を立てて実験によってそれを証明することの繰り返しで、真実を究明しようとしている。あるいは仏教を学んだり、ヨーガを学んだり、あるいはその他の宗教を学んだりして、心からね――単純に苦しいから宗教やってるんじゃなくて、心から、「私は本当のこの世の真実を知りたいんだ」と。そのような思いを持って努力するような人っていうのは、数千人のうちに一人よりも少ないだろうね、現代ではね。それはもう数万人のうちの一人かもしれない。本当に努力している人はね。
 そのように努力して追及する人の中でも、「私を真に知るに至るのは」――ここで私といっているのは、クリシュナ自身のこと。つまりさっき言った二つの真理。相対的な真理と絶対的な真理のうち、絶対的な真理に到達できるのは、さらにその中のほんの一掴みですよと。いろんな方法で、さっきも言ったように、段階的な真実っていうのはつかめるだろうと。ね。例えば、現代の科学っていうのは、ある意味で段階的な真理だね。段階的なある程度のこの宇宙の物理法則を実験によってね、証明してきて。その恩恵によってわれわれは、こういう電気もそうだし、暖房もそうだし、いろんな科学技術の恩恵に浴してると。でもこれはある意味段階的悟りなんだね。で、宗教とかいろんな修行も同じで、段階的なさとりが存在する。それは、そこにも到達できない人もいるだろうけども、到達する人も沢山いる。しかしそれを超えた完全な、われわれが触れなければいけない最終の真理っていうかな、唯一の真理、絶対的な真理に到達できるものは、その中でもほんの一掴みですよ――ということだね。

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