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「解説『バクティヨーガ・サーダナー』」第二回(5)

 はい、次、六番、「飲酒」。はい、これはもちろんもともとヒンドゥー教では飲酒自体が完全に駄目なんですけども、あの、飲酒がなぜ悪いのかって、もちろんいろいろあるよね。まず現実的な話としては、当然飲酒によってわれわれは理性を失い――まあ現代のニュースでもよくありますよね。つまり、社会的地位のある人が、まあすごい犯罪を犯すと。で、捕まってから、「酔って覚えていない」とかね(笑)。「酔ってたんで」とか言って――つまりまあ実際にその、そうなのかもしれない。つまり酔っぱらうことによって、普段は理性が働いてても――もちろん自分の中の潜在意識が悪いものがあるからだけども――悪いものが出てきちゃって、悪業を積んでしまう。当然これは駄目ですよね。これはまあ現実的な話。
 じゃなくて、もうちょと瞑想的な話でいうと、当然酒によって、その酒の力によってわれわれは潜在意識に入ってしまう。で、ちょっと混沌とするんですね。混沌とするから、当然、瞑想がしづらくなります。だからまあ瞑想する場合、当然酒が入ると非常にマイナスになる。
 で、バクティの場合、当然逆にね、逆にっていうかラーマクリシュナが言うように、神への愛でいつも酔っぱらってなきゃいけないわけだから。「神よ、神よ」。で、まあ逆に言うと、意識がその、神に対して鮮明に集中してなきゃいけないわけですね。それが酒が入ると、ちょっと混沌とする。混沌として、まあ眠ってしまったり、あるいは意識が、なんていうかな、不鮮明な状態になる。当然これはバクティにとっては大変なマイナスだっていうわけですね。はい。
 もちろんいつも言うように、密教において酒を使う場合があるけども、あるいはヒンドゥー教でもタントラ的な修行において酒を使うわけだけども、これはもちろん、いつも言うように酒の、まあ爆発力っていうかな、酒の熱エネルギーを利用してるわけですね。それによって、もしその意識が混沌とせず、その熱エネルギーだけを利用でき、それによってクンダリニーや、あるいはトゥモの力を増大させ、で、逆にそれによってその意識のけがれを打ち破ることができるならば、まあこれはプラスになるね。
 だから酒というのも、そのなんていうかな、観念的に絶対的にそれが、それ自体がなんか悪っていうよりは、まあ普通の場合、それを取り入れることによるマイナスが多すぎるんだね。現実的にも悪を積んじゃうし、心もちょっと混沌として神を思えなくなってしまう。だからまあ、酒はやめた方がいいってことですね。でも、われわれの中に、そのちょっとこうなんていうかな、そういう欲望があると――欲望っていうのはまあ、あの――わたしもさ、酒は飲んだけども、まあそんなに、そんなにっていうか呑兵衛ではなかったので、あの、なんていうかな、まあ遊び程度ですね、まあわたしの場合はね。あの、酔いたいという気持ちが分かんなかった。うん。よく「酔いたい」って言いますよね。あるいは……なんなんでしょうね、酒いっぱい飲む人って(笑)。酒、すごい飲んでた人っています? ん? あ、結構……あ! こんなにいるの(笑)? じゃあ試しにY子さん。なんでそんなに飲んでたの? 

(Y子)なんだったのか……今考えると分かんないですね。

 ふーん。わたしねよくね、特に夏の暑いときとかさ、まあビールとか飲むと。あの、あ、それはおいしいなと思った。でも、なんかよく考えたら、わたし炭酸が好きなんだよね(笑)。

(一同笑)

 だから別に二杯目はいらないっていうか。だからちょっとこうよく分かんないよね。うん。じゃMさん、なんかあります? 

(M)え? 

 なぜ、何がいいのか、酒が。 

(M)お酒ですか? お酒は、全然酔わなかったんですけど、飲むと元気になって楽しくなる。

 うん。まあいろいろ人によってあると思うね。酔いたいとかあるいは楽しくなるとか、あるいはその、なんていうかな、まあ経験からくるね、酒を飲んだときの、そのまあ、みんなとのいい感じとかね。
 で、それ自体を例えば契機として、酒――まあこれも一つの魔ですけど、酒にはまると。で、それによってまた、さっき言ったように、潜在意識の悪いものが出てきて、こう悪循環に陥る。
 まあだから、酒もまあ必要なければ――ミラレーパみたいに修行で使えるぐらいにこうステージが上がってたら別ですけども、そうじゃない場合は、まあ飲酒もできるだけ離れたほうがいいですね。

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