至高者の祝福(13)「宇宙の展開」
第二章 第8話 宇宙の展開
至高者は続けました。
「真我とは、はじまりなく、無属性であり、プラクリティのかなたに存在するものです。そしてそれは、すべての生き物の心に宿り、自ら輝いているのです。眼前に広がる宇宙は、この真我に浸透されることで、その姿をあらわしているのです。
すべてに浸透するこの真我は、戯れに自分を求めてきた、三種のグナを持つプラクリティを、自らの意志によって受け入れました。
そうしてプラクリティの中に住み始めた真我は、叡智を曇らせる彼女の罠に陥ったのでした。プラクリティが自分のグナを用いて、各グナに沿った多様な子孫を展開するのを見た瞬間、彼は自分を忘れてしまったのです。
その結果、真我は、自分とプラクリティを同一視して、プラクリティのグナがなす行為を、自分がすると思い始めたのです。
真我は単なる純粋観照者であり、決して行為者ではありません。しかしこの「自分がする」という思いによって、彼は行為に束縛されるようになったのです。そしてこの行為による束縛により、本来真我は純粋独存のものなのに、全く無力なものへと貶められてしまいました。また真我は祝福に満ちたものであるのに、輪廻に脅かされるものとなってしまったのです。
このプラクリティこそが、真我を、肉体や感覚器官、心などと同一視させる張本人であると、真理を知る者はそう考えるのです。
プラクリティは三つのグナからなり、それは原因と結果の両者として存在し、様々な現象を展開するのです。
あるひとによると、カーラ(時)とは、真我が持つ潜在力であるといいます。そしてそのカーラは、自分をプラクリティと結びつけて自己本位に陥った魂に、恐怖をもたらすといわれるのです。
本当のことをいうなら、三グナの平衡状態とも呼ばれる、特定の名称や姿を持たないこのプラクリティを活性化させる主ご自身こそが、カーラと呼ぶべきお方なのです。
主はすべての魂の中に、マーヤーを用いて、何にも影響を受けぬ真我として宿られ、彼らの外では、カーラ(時)として存在されているのです。
万物の根源であるマーヤーに、最高者が自らのエネルギーを注がれると、グナの平衡が魂のカルマによって乱され、その結果、マーヤーは光り輝くマハト・タットヴァを生み出したのです。
そして宇宙という大樹の根源であり、衰弱や混乱を経験することのないこのマハト・タットヴァは、この宇宙を顕現させたのです。
チッタ(心)はサットヴァの性質を多く持ち、それは純粋なもので、人が神を悟りえる場となっています。
チッタの持つ特徴は、清らかに澄み渡って、疲労や散乱がなく、全く平静なものだといえるでしょう。
主のエネルギー(チット・シャクティ)から生まれたマハト・タットヴァは、自分が変異を受けた結果、サットヴァ・ラジャス・タマスの三種からなる、自我意識を展開しました。そしてこれら三種の自我意識から、感覚意識、感覚器官、粗大元素が展開したのです。
宇宙の大原因である至高者は、マハト・タットヴァ、自我意識、五大元素、それらが別個であったため、カーラ(時)とカルマとグナとともに、それらの中に入られました。
そして主によって活性化され、相互に結合した結果、これらの原理は、宇宙卵を生み出し、さらにそこから、すべての存在の基礎である、主の宇宙体が誕生したのです。
それゆえ人は、自分の中に存在されて、なおかつそこから遠く離れたかの至高者こそを、バクティと離欲、心の集中と智慧によって、心に強く念じなければならないのです。」