勉強会講話より「解説『バクティヨーガ・サーダナー』」第一回(5)
はい、そして五番目、「聖典を学ぶ(ギーター、ラーマーヤナ、バーガヴァタなど)」。
はい。ここでギーター、ラーマーヤナ、バーガヴァタって挙げられてますが、そうですね、このバクティヨーガにおける聖典の学び方っていうのは、これも何度も言ってるけど、二つあると考えてください。二つっていうのは、まず第一には、普通の教えと同じように、つまりその意味をちゃんと理解して、それを自分に当てはめて、ちゃんとその、なんていうかな、その通り生きようとしていくための教えですね。で、これは例えばバガヴァッド・ギーターなんかそうだし、あるいはもちろんラーマーヤナやバーガヴァタ、あるいはその他バクティ系の経典にも、そういう部分は確かにある。それはちゃんと学んで、自分で咀嚼して理解して、当てはめていけばいいんですけど。
で、もう一つの意味が、これも何度も言ってる、これは例えばラーマヤナ、あるいはクリシュナ物語、あるいはマハーバーラタその他を、特に考えずに読む。ひたすらその世界に没入する。こういう読み方ね。そうすると、まさにわれわれの意識が、特にラーマーヤナとかクリシュナ物語とかそうですけど、その世界に引き込まれるんだね。引き込まれて、なんていうかな、われわれのアイデンティティっていうか、われわれのこの幻の世界がそのリーラーの世界にちょっと触れて、ちょっと半分引き込まれた感じになる。で、その果てに――その果てにっていうのは変ですけども、皆さんが、普段からいつも、例えばクリシュナのことを思うと。ラーマのことを思うと。まあいろんなことにかこつけてね。「ああ……」――例えば今日みたいな風が吹いてたら、「クリシュナがくしゃみしてんのかな?」とかね(笑)。例えばですけどね。あるいは例えば、青い空を見てラーマのことを思い出すとか、あるいはなんでもいいんですけども、例えば夜寝るときにしろ、朝起きるときにしろ、そのような、ヴリンダーヴァンや、あるいはアヨーディヤーの雰囲気を感じながら寝たり起きたりするとかね。こういった感じで、だんだんわれわれの意識が、その物語の中にちょっと引きずり込まれる感じになる。普通に外的には、一般にこの日本で生きてるんですけども、そのような神の物語の中で生きてるような感じになっていく。これはいいことなんですね。
だからこれはもう一回言うけど、ただ単純に論理的に教えを学び、それを応用するっていうだけではなくて、その世界に浸りきると。この意味での聖典の読み方っていうのも、バクティの独特の読み方ですね。
はい、そして最後は「聖地を巡礼する」と。はい、「聖地を巡礼する」は、まあ現代的には、われわれはあんまり考えなくていいと思うね。つまりその、ここでいってる聖地っていうのは、だいたいインドですから。あまり行けないですからね(笑)。ちょっと現実的ではないよね。だから皆さんの場合はカイラスでいいです(笑)。カイラスは聖地なんだと(笑)。ね。まあその程度の感覚でかまわない。まあ、あまりこれはこだわらなくていいね、ここのところはね。