yoga school kailas

スワミ・プレーマーナンダ「聖堂における奉仕」(2)

 ラーメーシュワラーナンダはこう言った。

「朝起きたときから就寝時間まで、バブラム・マハラジのすべての時間は、タクルと信者への奉仕に費やされていた。言ってみれば彼は、奉仕の化身であられた。彼にとって、タクルは生きておられ、また彼はそのようにタクルに仕えた。

 彼はよくこう仰った。

『タクルはまさに今、目を覚まされた。
 今、彼は口を洗浄している。
 今、彼は休息を取っておられる。
 今、彼は食事を食べに行かれている。
 今、彼は散策のために庭園へ向かっておられる。彼が動き回られる最中、いくらかの不安も感じられることのないように見守り続けなさい。
 とげでいっぱいのあのバラの枝が道に侵入している。それらをきれいに整えよ。さもなくばそれらが彼を傷付けてしまうかもしれない。
 慎重にパンを準備せよ、わたしの息子よ。彼のお口がひりひりするかもしれないので、パンにあまりにたくさんのライムを入れないように注意せよ。
 タクルは温かいご飯を食べるのを好まれた、だからご飯が冷たくならないように注意しなさい。
 ほんの少しの固形物もサンダルペーストの中にあるべきではない。彼のお部屋が常にお香と素晴らしい香りのする花で香っているかを確かめなさい。ドッキネッショルでは彼は花とお香を好まれたのだ。』

 彼はそのような愛情のこもった奉仕を、ブラフマチャーリたちによくやらせておられた! タクルをベッドに寝かしつけ、蚊帳を落とした後、彼らは心の中で、彼の御足をマッサージしたものだ。タクルのベッドの隣の腰掛けの上に、コップ一杯の水と二かけらのパンがよく置いておかれていた。夜中にタクルが目覚められたとき、手元にそれらを見つけることができるようにである。朝、睡眠からタクルが目覚めた後、彼が口をゆすぐのを手伝うために、大きな容器からボウルに非常にゆっくりと水が注がれたものだ。

 このようにして、バブラム・マハラジはわれわれに、その他多くの同様のものに関して、一つ一つ指示なさった。

 またバブラム・マハラジは、ネズミにかじられて取り換える必要があるかどうかを確認するために、タクルのお写真に着せられていた衣服に注意深く目をとどめるように要求なさった。
 1916~17年の間、わたしはマトでタクルへの礼拝をよく行なった。
 ある日、バブラム・マハラジはわたしをお呼びになり、そして尋ねられた。

『教えておくれ。タクルのすべての衣服はきちんと維持されているか? 調べてみておくれ、わたしの息子よ。注意深くしておくれ。
 ほら、タクルに新しい衣服を捧げたあと、わたしは服を着ようとしていた。そのとき、タクルが現われて仰った。

「おお、バブラム! 君はそのような素晴らしい衣服を持っているね。でもわたしのものはすっかり食べつくされてしまったよ。これはどうしたことだろう? 君はもはやわたしを愛してくれていないのか?」

 われわれはそれからタクルのお部屋に行き、そして実際にタクルのお写真に着せられた衣服がかじられているを確かに見たのだ。

 また、バブラム・マハラジの従者がかつて二つの新しいシャツを彼のためにひそかに作り、彼に知らせずにそれらを衣服の棚にかけた。バブラム・マハラジがそれらのシャツの一つを着られたとき、それが新しいか古いかどうか全く気に留められなかった。そのときタクルは彼に現われて、仰ったのだ。

『バブラム、わたしは一つしか着る服を持っていない。ところがおまえは二つも新しいシャツを持っている。おまえはわたしへの関心を失ったのかい?』

 次の日、彼はそのシャツの一つを返して、二つの新しいシャツをタクルのために注文された。

 雨季の間、マトの敷地はとげだらけのアザミと牛の糞でいっぱいになったものだった、そしてあちこちに壊れたレンガの破片が散らばっていた。
 バブラム・マハラジは新しい僧にこれを指摘し、仰った。

『ここをごらん。夜、タクルはこの場を散歩なさる。とげのあるアザミは彼の服をひっかけるかもしれない、牛の糞は彼の御足を汚すかもしれない、そして壊れたレンガの破片は彼を傷付けるかもしれない。』

 それからその僧はタクルのために、アザミを引き抜き、牛の糞を片づけ、ランマー(土壌を打ち固めるのための道具)を使って壊れたレンガの破片をつぶし、土地を平らにすることに取り掛かった。

 ある日、当時マトで礼拝を任されていたラクシュマン・マハラジは、日々の礼拝を行なっている最中にこう言った。

『どうしてわたしはプージャーを行なうことができるだろう? 捧げるためのフルーツが少しもない。』

 これを聞いて、マハラジはこう返答した。

『フルーツが少しもない? あなたはどんな種類の礼拝を行なっているのだ? 今日はわたしがプージャーを行なうことにしよう。あなたはそれをする必要はない。』

 ブラフマチャーリのネパールは、いつもバブラム・マハラジの水浴のために、バケツ二杯分のガンガーの水の準備をしていた。それらは彼の部屋の東側の戸外に彼のために置かれていた。しかしその日、彼はその水を使って水浴されなかった。その代わりに、彼は大急ぎでガンガーで沐浴し、衣服を着替え、そしてタクルへの礼拝のためにお座りになった。今ではよくあることだが、多くの信者が非常にたくさんのフルーツとお菓子を持ってやってきたために、その日、プラサードに使われるシャルの葉が午後には底を突いたのだった。それにもかかわらず、供物を持った信者の到着の流れは終わりのないように思われた。その僧はプラサードの供給を続けるために、カダムの樹から葉を集めてこなければならなかった。

 かつて誰かがいくらかのおいしいチャナ(新鮮なリコッタのようなチーズ)を持ってきたとき、バブラム・マハラジはブラフマチャーリのイナンに指示なさった。

『これは信者からのものだ。小さい部分をタクルへ捧げなさい。すべてを一日で捧げてはいけない。水に浸して保存するのだ。』」

 以下の物語は、何人かの高齢者から聞いたものである。

「コルカタの裕福なブラーフミンの家族が、タクルへ捧げるためにと、よくたくさんの物をマトへと持ってきたものだった。しかしあるときバブラム・マハラジの前にタクルが現われて、こう仰った。

『教えておくれ、なぜおまえはこれらのものをわたしに捧げるのかね? わたしはとてもじゃないがそれらを受け取ることができない。』

 スワミジはそのときマトに滞在していたので、バブラム・マハラジは彼のもとへ行き、こう言った。

『ナレン、どうしたらよいか教えていただけますか? バスケットにいっぱいの果物とお菓子が毎日のように彼らの家から届くのですが、今日タクルは、そのどれをも食べることはできないと仰ったのです。』

 スワミジは答えた。

『わたしの部屋にそのバスケットを送ってくれ。一つか二つなら、受け取ってもいいよ。どうあろうと、わたしは自分の信奉者たちを見捨てることはできない。だが、タクルがそれらを召し上がることができないのだから、君たちはそれを食べてはいけない。そしてまたそれらは少年たちにも与えてはならない。』

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする