「私が見たブラフマ―ナンダ」より「我が師」(1)
「私が見たブラフマーナンダ」より抜粋
「我が師」
スワミ・プラバーヴァーナンダ著
私のことをお話する前に、読者諸君には私の師(スワミ・ブラフマーナンダ)のことを、多少知っておいてもらいたいと思います。
そのため、恐縮ですが、私は友人であるクリストファーイーシャウッドが書いたブラフマーナンダの短編伝記から、大部分を引用させていただきました。
ラカール・チャンドラ・ゴーシュは、ラーマクリシュナの偉大な弟子であり、一般にスワミ・ブラフマーナンダとして知られています。
彼は1863年1月21日、カルカッタの近くの村、シクラタリングで生を受けました。
ラカールがドッキネッショルを最初に訪問する前、ラーマクリシュナはカーリー女神に、「母よ、私は私の永遠なる伴侶が欲しいのです。心が清らかで深くあなたに帰依している少年を、ここへ寄こしてください」 とお祈りになられました。
数日後、師はカーリー寺院の境内のバンヤン樹の下に、一人の男の子が立っているヴィジョンをご覧になりました。
またその数日後、師は母なる神が小さな男の子を師の膝に乗せ、「これがおまえの息子ですよ」と言うヴィジョンをご覧になりました。師は最初、このことに戸惑われましたが、母なる神は師に、普通の人間が子供をもうけるといった物質的な息子という意味ではなく、これは宗教上の息子であるという意味だということを保証しました。
そしてちょうどそれと同じ日に、ラカールと彼の義兄が、ドッキネッショルにやって来ました。そのとき、師は三度目のヴィジョンをご覧になりました。それはガンガーの河面に美しい千枚花弁の蓮華が咲いており、その蓮華の上で二人の男の子が踊っているヴィジョンでした。その内の一人はクリシュナで、もう一人は前のヴィジョンで見たのと同じ男の子でした。
ラーマクリシュナはラカールを初めてご覧になったとき、ヴィジョンに出てきた少年はこの子だとすぐに気付かれました。ゆえに師は、ラカールを自分の宗教上の息子だと見なされたのです。ラカールは完全に師とこのような魂の関係を結んだので、ラーマクリシュナと引き離されることに、もはや耐えることができなくなりました。そして彼の(ドッキネッショル)訪問はより頻繁になっていき、その後、ドッキネッショル寺院にラーマクリシュナの召使いとして、長期で住み込みで奉仕するようになりました。
そして2人、3人と他の少年や若者達がラーマクリシュナの弟子となって、やがてラーマクリシュナの名のもとに僧となるため、ドッキネッショルにやって来るようになりました。
様々な言葉や例えによって、ラーマクリシュナは、弟子達が生涯を通じて神の道具として働けるよう、彼らを訓練されたのでした。師は彼らが単なる説教師になるための教育をすることはありませんでしたが、師が模範として発されたメッセージは、それを受けた者たちに、どんな本や説法よりも多くの真理への確信をもたらしたのでした。
ある日、ラーマクリシュナはナレン(ヴィヴェーカーナンダ)に、「ラカールは王者に値する鋭い知性を持っている。もし彼がその気になれば、一国の王となることもできただろう」とおっしゃいました。
ラーマクリシュナがラカールをリーダーに据えたがっておられるのを理解したナレンは、信者の集まりのときに、皆にラカールの偉大さについて話し、こう宣言しました。
「これからはラカールを、われらの王と呼ぶことにしよう。」
ラーマクリシュナを始め、他の信者達もこれに喜んで賛成しました。この日以降、ラカールは「王(ラージャ)」として認識されるようになりました。
近年では、彼の信者達や弟子達が彼のことを「マハラジ(大王)」と呼ぶようになりました。ラーマクリシュナはラカールによくこう仰いました。
「ナレンをはじめ、他の4人の弟子達は、神の化身としてこの世に生を受けている。つまり、永遠に自由で完全な魂であるということだ。これらの魂は、過去のカルマによる転生ではなく、人類を正しく導くために、何度でも生まれ変わってくる。」
ブラフマーナンダは、ラーマクリシュナ・ミッションの活動において偉大な管理者でしたが、霊性の修行を第一優先に置かなければいけないことを弟子達に理解させるために、決して修行を怠ることはありませんでした。社会奉仕は二の次でした。
彼はこう言いました。
「人生の唯一の目的、それは神を悟ることである。
叡智を獲得し、全身全霊で神に身をささげよ! そうすれば神は人間に働きかけてくださるのだ。
人生の中で、修行というものは終わることはない。
辛い修行は、神への帰依を深めるために意味のあることなのだ。
少なくとも一日のうち三時間か四時間は、神のことを考えなさい。」
ブラフマーナンダは実務の効率よりも、弟子達の魂の向上に、より多くの情熱を傾けました。
かつて彼は、若い弟子を管理している年長の弟子を、このように厳しく叱責したことがありました。
「私はこの少年達を俗世間でうまく仕事ができる行員に仕立てるために、君に彼らを任せていたのだろうか?」
彼は繰り返し繰り返し、教団の成功とは、社会福祉事業や、その業績、規模、建物あるいは資金ではなく、その一員たちの精神面に依存するということを指摘しました。
ブラフマーナンダは、場を霊性のバイブレーションで溢れる神聖な雰囲気にする力を持っていました。彼の一瞥、一触れ、あるいは彼が単にその場にいるだけで、そこにいる人々の意識は高い領域に引き上げられ、彼らの人生が変貌したのでした。
彼は晩年のほとんどを高い霊的意識状態の中で過ごしましたが、人々を救済し、教化するときにのみ、意識を通常世界に降ろしました。
1922年4月10日、彼は最後のサマーディに入り、肉体を捨てました。
彼が弟子達に最後に言った言葉は、こうでした。
「悲しまなくてもよい! 私はお前達といつも一緒だ。」
スワミ・ラーマクリシュナーナンダや他のラーマクリシュナの直弟子達は、ブラフマーナンダの存命中、彼に惜しみない賛辞を贈りました。――「マハラジの心はラーマクリシュナと一つだ」というように。
そしてスワミ・シヴァーナンダは、アメリカにあるセンターの駐在スワミとしての仕事のためにアメリカに出発しようとしているブラフマーナンダの弟子の一人に、非常に強く、このように言いました。
「君たちは決して、自分が神の子を見たということを忘れてはいけない。君たちは神を見たのだ。」