「光と夢のヨーガを同時に実践する場合」
◎光と夢のヨーガを同時に実践する場合
【本文】
睡眠時に、光のヨーガと夢のヨーガを同時に実践したいのであれば、まず最初に睡眠の光明を保ち、その後に夢の修行に入るのである。
光のヨーガと夢のヨーガっていうのは、この後にもちょっと出てきますけども、睡眠を利用してやるととてもいいといわれます。で、光のヨーガの修行とそれから夢のヨーガの修行があるわけですが、それを同時にやる場合、それはまず光のヨーガ――つまり光明を経験する修行をして、で、その後どうせ寝た後に夢を見るだろうから、その夢を見たときに夢の修行をする、ということが書かれているだけですね、ここはね。
【本文】
生命エネルギーを中央気道に集めることができない者は、昼間に一生懸命修行して、それができるようにすべきである。
昼間の覚醒時に、生命エネルギーを中央気道に入れ、止め、溶けこませ、四つの歓喜と四つの空を経験し、サハジャの歓喜があらわれたときに「楽空無差別」と見る。
瞑想から覚めるときは幻身の姿を生起させ、あらわれるすべての現象を、聖なるマンダラであると見る。
ここまでできれば本来、修行は十分なはずであるが、さらに睡眠時の光と夢などの修行をなぜ学ばなければいけないのだろうか。
睡眠時においては、自然にプラーナが心臓のチャクラに集まる。そして覚醒時にプラーナを中央気道に入れることができる人が、中央気道の心臓部分に意識を集中して眠るならば、左右の気道のプラーナは中央気道の心臓部分に容易に集まり、覚醒時よりも容易に、四つの空の経験をすることができるのである。それを利用してできるだけ睡眠時に光明を維持する努力をしたならば、その力によって、覚醒時にも中央気道にエネルギーが集まりやすくなる。よって、睡眠を利用した光のヨーガをするとしないとでは、修行の進度が大きく違ってくる。
また、この世で解脱に達する前に死んでしまった場合も、睡眠の光明を保つことに熟達していれば、死後の光明を保つことも、他の者よりも容易になるのである。
同様に、睡眠時の光のヨーガの後に、夢の中で幻身を操ることに熟達すれば、覚醒時に幻身を成就することも容易になるのである。
また、この世で解脱に達する前に死んでしまった場合も、夢の幻身を保つことに熟達していれば、死後の中間状態の幻身を保つことも、他の者よりも容易になるのである。
はい、ここに書いてあるのは、まず最初に中央気道に、さっき言ったね、エネルギーを集めることっていうのがとても大事なわけだけど、まずそれができなきゃいけない。これは大前提であると。もしそれができないんだったら、一生懸命修行してまずそこまでは達しなさいと。これが第一ね。
次に、そのような熱のヨーガ、クンダリニー・ヨーガの修行で中央気道にエネルギーが入るようになり、さっき言ったサハジャの叡智、サハジャの歓喜、そしてそれを空の悟りと混ぜ合わせる、あるいはすべてが聖なる曼荼羅であると見えると。ここまでできれば、それはそれで十分じゃないですか? その修行をどんどん進めていけば、それでだけでいいじゃないかと。なぜ夢のヨーガと光のヨーガが必要なんですか?――っていうことの説明ですね、ここはね。
その説明としてはまず――これはね、みなさん知識として覚えていたらいいと思うけど、これは仏教でもヨーガでも同じようにいいますが、われわれが目覚めているときっていうのは、特にこれは修行してる場合ね、この眉間にぐーってエネルギーが集まりやすくなります。で、寝てるとき、睡眠のときは心臓に集まりやすくなります。睡眠中、夢を見るときっていうのは喉に集まるんだね。だからこれを利用していろいろできるんだけどね。
例えばもしこの中で、わたしは夢を見たいって強く思う人がいたら、喉に集中して寝るといいです。夢を見やすくなります。
で、わたしはもう寝すぎると。睡眠を短くしたいって人がいたら、眉間に集中して眠るといいです。そうすると睡眠が短くなります。
じゃなくて、自然に寝るときっていうのは、この心臓にエネルギーが集中するわけですが、生きてるときに例えば瞑想して、さっき言った中央気道にエネルギーが入り、で、四つの光のサマーディを経験するときっていうのは、この心臓の中央にぐーってエネルギーが集まってるんだね。で、今言ったように、寝てるときもここに集まる。つまり寝てるときは自然にここに集まるから、それを利用しない手はないと。それを利用して、もともと中央気道にエネルギーを入れることができる人が、ここに集中しながら眠ることによって、起きてるときよりももっと簡単に、素晴らしいこの四つの空とか、四つの歓喜というのを経験できるんですよと。それが一つ。
そしてさらに、それを睡眠時に簡単に何度も経験すれば、起きてるときにももっと簡単にその経験が深まりますよと。よって、それを利用しない手はないですよと。
で、もう一つ、死の光明ってあるね。この死の光明っていうのは、われわれが死んだときに――あのね、ここでちょっと一応、これは体験しないと意味がないわけだけど、オーソドックスなプロセスだけ言うと――われわれが死んだとき――細かいのは抜きにして大雑把なことだけ言うと――まずバーッと白い光に包まれます。その後に真っ赤なギラギラした光に包まれます。その後にいきなりブラックアウトみたいな感じで、バーッと暗闇に包まれます。で、その後にパーッと透明な光に包まれます。で、その後で、さまざまな死後の世界の経験が始まるんだね。
まずね、生きてる間に解脱を達成してれば別に関係ないんだけど、生きている間に解脱できなかった、しかし非常にいいとこまで行ってた人が死んだ場合、この今いったプロセスの最後の透明なる光――これは素晴らしい悟りへ導く光なわけだけど――この段階でこの光の中に没入し、安定させることができたら、死後解脱できるんです。生きてる間には解脱できなかったけど、この光を利用して解脱できるんです。
はい、そして、これと似たことが瞑想、そして睡眠時に起きるんだね。瞑想してると同じように、瞑想っていうかサマーデイの深い段階に入ると同じように、まず白い光がやってきて、赤い光がやってきて、暗闇がやってきて、最後に透明な光がやってくる。そして同じように、睡眠時にもこれが起きるんだね。普通はね、寝ちゃうからそんなこと覚えてないんだけど、普通は認識できないんだけど、しっかりとこの光のヨーガの修行をすると、意識をもったままで、死後と同じような光の経験をします。で、これを寝てるときに何回も繰り返し経験することによって、死後の予行練習になるっていうことだね。
もう一回言うけども、生きてる間に完成してしまえばそれは必要ないんだけど、完成しないで死んじゃった場合、でもこの光のヨーガの修行をしっかりやってれば、死後もそれを応用できるから、死後解脱するチャンスが高まりますよということだね。
まあただそれ以前に、そのような光を修行によってあらわせるように、その前に中央気道に気が入るようにしなきゃいけないから(笑)、なかなか大変な道のりなわけだけど。
はい、そしてそれからもう一つ、夢のヨーガに関しても、細かくはまたこの後に出てきますけども、夢の中でさまざまな――実際に夢の中で神に変身したりして、いろいろ自由自在に動き回ったりするわけですけども、それができることに熟達すれば、実際に起きているときの幻身のヨーガも進みやすくなるし、それから死んだ後――これはさっき言った、死んだ後に光明がでてきて、光明に溶け込めればそれで解脱なんだけど、そこも失敗しちゃった場合。光明も失敗しちゃった場合は、いわゆるバルドといわれる死後の世界において、われわれはある体を持ちます、誰でも。これはつまり幽霊みたいなものです。幽霊みたいな霊的な存在になります。これが最長四十九日間続くんですが、普通はこれは死ぬ前の体か、もしくは次に生まれ変わる体に似ているといわれています。それはいろんな説があります。だからNさんが死んだら、このままで霊的な姿でこう浮遊するんだね、普通はね。
でも生きているときにこの夢のヨーガ、つまり夢の世界で神に変身したりしていろいろやるっていうことを徹底的にやってると、死後の世界でそのような神の体になれるんです。これがそのメリット。だからそれによっていい世界に行けるかもしれないし、あるいは自分の好きな世界に生まれ変わって、修行したり救済したりできるかもしれない。これがここに書いてある――解脱もできませんでした、それから死の光明に溶け込むことも失敗しました。ね(笑)。でも夢のヨーガを徹底的にやってたら、そういうところで救われるかもしれませんよ――ということだね。
じゃあ次、もうちょっと具体的なところに入っていきます。