「性的修行の危険性」
◎性的修行の危険性
【本文】
ここでボーディチッタ(精液)を溶かして昇華させる際に、単に一人で瞑想によって行なう方法と、異性とのセックスを利用して生じさせた精液を、漏らさずに身体内に引き戻し、溶かして昇華させる方法がある。
しかし後者の方法は難しい。単に射精をしなければいいというわけではなくて、身体内に引き戻した精液を溶かし、頭頂まで引き上げ、そして実際に体中のナーディに行きわたらせることができないと、逆に様々な病が生じてしまうからである。
よって、よほどの高度な段階に到達し、かつ師からの指示や許可がない限りは、異性とのセックスを利用した方法に関しては、むやみに手をつけるべきではない。
瞑想において実際にこのプロセスを速やかに生じさせるには、自らをイダムとして観想し、蓮華座を組み、頭頂の逆さのハム字に意識を集中するところから始める。そうしてこの頭頂のハム字のビンドゥを何とかして溶かし、ボーディチッタを体中に行きわたらさなければならないが、そのためには多くの直接的・間接的方法がある。それらは師からの口訣によって知るべきである。
これは何度も言ってますけども、こういったクンダリニー系の修行においては、いわゆる異性とのセックスを利用したやり方ってあるんだね。それはここに書いてあるように、いったんそれによって雑なエネルギーである精液とか、そういったものをいったんガーッて出しておいて、それを再吸収して昇華させるってやり方なんだね。
でもこれはここにも書いてあるように、かなり難しいです。難しいとういうか、ほとんど不可能です。相当の大聖者じゃない限りね。
でも人間って煩悩があるから、よく西洋人とか、あと日本人でも、一部のそういった修行者たちで、「いや、わたしはそういうのができるんだ」って言って、やりたがる人、あるいはやってる人がいます。だからみなさんはそういうのはあまり手をつけない方がいいね。
つまりそういうふうに誘惑してくる人もいます。わたしも何例かそういうのを聞いてる。「いや、実はこういう修行の団体に行ったら、そういうふうに誘われた」と。それは単なる煩悩で言ってるだけだから(笑)、もし皆さんがそういう誘惑を受けたとしても、それはもちろんやめた方がいいね。
現代ではなかなかこれは難しいと思います。こういう話は何回かしてるけどね、もう現代はけがれすぎてる。われわれのイメージもけがれすぎてるし、エネルギーもけがれすぎている。もっとね、清浄な――まあ、あまりこの話は突っ込まないけども、一つだけ例を挙げるとね――もう子供の頃からほとんど性的なことを考えたことありませんと。それぐらいの人でないと駄目かもしれないね。うん。そのような人が一つの方法、手段として、技術としてこれを行なうならいいんだけど、じゃなくて、もともと性欲強くて、「性欲強くて、でも修行もしたいんだよな」っていう人がそれを肯定するためにこういうのをやっても、それはただかたち上できてても――かたち上っていうのは、例えばじゃあ漏らさなきゃいいのかと。漏らさなきゃいいってわけでもない。それは逆にね、漏らさないで、しかしそれが本当に昇華されてなかったりすると、逆にいろんな病気をひき起こします。だからいろんな危険があります。だから現代ではこれはやめた方がいいね、できるだけね。
そして、「実際にこのプロセスを速やかに生じさせるには、自らをイダムとして観想し、蓮華座を組み、頭頂の逆さのハム字に意識を集中するところから始める」と。で、実際に何とかして――つまりイメージじゃなくて、本当に甘露が落ちるようにしなきゃいけないわけだけど、それにはここに書いてある以外のものも含めて、いろんな直接的間接的方法がありますよってことですね。
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