『釈迦牟尼如来』(6)
ゴータマは、乳粥によって体力を得て、菩提樹の下に座り、瞑想に入りました。そして欲望を離れ、不善の事柄を離れて、熟考と微細な思慮を行ない、遠離から生じた喜楽に満ちた、第一禅定を成就しました。
次に、熟考と微細な思慮が滅し、内心が清浄となり、心が統一し、サマーディによって生じた喜楽に満ちた第二禅定を成就しました。
次に、喜を捨て、平静であり、正念正智があり、身体が楽に満ちた、第三禅定を成就しました。
次に、苦楽を捨て、喜びと憂いを滅し、心の平静より生じた念が最も清浄になっている第四禅定を成就しました。
このようにして、心が正しく定まり、清らかになり、心に付随する煩悩を離れ、柔軟になり、不動になったとき、夜の初めの頃において、ゴータマは、無数の過去世を思い出しました。さまざまな生において、どのような世界で、どのような生涯を送り、どのように死に、また次にどのように生まれ変わり・・・ということを無数に思い出したのです。こうしてお釈迦様は、過去生を自在に思い起こす宿明智という明智を得たのです。
そして真夜中においてゴータマは、清浄で人間を超えた天眼によって、衆生が死んで再生していく様を観ました。こうしてお釈迦様は、衆生の死と再生を自在に見渡す死生智という明智を得たのです。
そして明け方近くなってゴータマは、全ての煩悩の漏れを滅ぼしつくす智に心を傾けました。そして、
「苦しみとは何か」
「苦しみが生起する原因とは何か」
「苦しみの滅尽とは何か」
「苦しみの滅尽に赴く道とは何か」
「煩悩の漏れとは何か」
「煩悩の漏れが生起する原因とは何か」
「煩悩の漏れの滅尽とは何か」
「煩悩の漏れの滅尽に赴く道とは何か」
・・・これらを如実に悟りました。
こうしてゴータマの心は、欲望という漏れ、生存という漏れ、無明という漏れから解脱し、解脱したという智が生じました。
つづく