「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第二回(6)
もうひとつ同じような話がある。もうひとつ――これはまあ何かにわたしは書いたけども――あるお坊さんがいてね、そのあるお坊さんが歩いてたら――まあ、ちょっと細かい話は忘れたけど、ある男たちがちょっと喧嘩をしていたと。で、そのお坊さんがそれを止めに入ったら、自分が巻き添えくっちゃって、その男に殴られてしまった。で、ものすごい殴られたんで、もう気を失って倒れてしまったと。で、それをお寺の仲間たちが発見して「大変だ!」って、その瀕死の重傷を負ったそのお坊さんを寺に連れ帰ったわけですね。寺に連れ帰って、いろいろ看病しているんだけど、まったく意識が戻らないと。で、ある人が――まあこれはインドのアーユルヴェーダの智慧なのか分からないけど(笑)、「牛乳を飲ましたらどうだ?」って言ったんだね(笑)。「牛乳を飲ましたら意識を取り戻すかもしれない。」で、ちょっとその男の口に無理やり牛乳を入れて、意識を覚まさせようとした。そしたら、その瀕死の重傷だった男が、目を覚ましたわけですね。で、まだ意識が朦朧としていると。で、その男にその牛乳を飲ました仲間のお坊さんが聞いたわけですね。「お前」と。「さあ、分かりますか?」と。「わたしのことが分かりますか?」と。「誰があなたに牛乳を飲ましているか分かりますか?」と聞いたわけですね。そしたら、そのお坊さんが答えたのは、「わたしを殴ったそのお方が、今わたしに牛乳を飲ませて下さっていらっしゃいます」と答えたんだね。つまり、そのお坊さんにとってはすべてが神だったんです。「神が自分を殴った」と。ね。あるいは「神がわたしを介抱してくれた」と。まったくどこにもマイナスはないと。こういう発想ね。