バクティの精髄(16)
◎パダセーヴァナ
パダセーヴァナとは、至高者の御足への奉仕である。
実はこれは、ラクシュミー女神やパールヴァティー女神によってのみなされるものである。
普通の人間には一切、このバクティの修行を実践する機会がない。なぜならば、主は肉眼では見られないからである。しかし普通の人間でも、一切を神と見ることによって、この修行をなすことができる。
これがパダセーヴァナである。
パダセーヴァナとは、病人への奉仕である。
パダセーヴァナとは、貧しい人々への奉仕である。
パダセーヴァナとは、すべての人々への奉仕である。
世界はただヴィラート・スワルーパ(至高者の宇宙体)である。
よって世界への奉仕は、至高者への奉仕なのである。
また、寺院の神の像に、あるいは心の中に観想した神に、心からの礼拝を捧げることも、パダセーヴァナである。
信仰深い眼差しで、飽くことなく、何度も何度も主の聖なる御足を見ること、主の御足を礼拝すること、主の御足に奉仕すること、主の御足を洗った水をすすること、主の木のサンダルを礼拝すること、それらを瞑想し、それらに祈りを捧げること、主の御足の塵を取り、それを額にいただくこと、主の御足の塵で心を清めること、聖なる寺院、巡礼地、主が人間の幸福のために降誕された地に敬意を表すること、ガンガーを主の御足から直接流れて来ているものと見なして礼拝し、そのガンガーの聖水で沐浴し、それを飲むこと――これらはすべて、主の御足への奉仕のさまざまな形である。
この種の信仰は、すべての世俗的な執着を滅ぼし、それによって心はただ神だけを思うようになる。
バラタはシュリー・ラーマの御足のサンダルに奉仕した。何という素晴らしい信仰心だろう! 彼はそれを王座の上に安置し、まるでシュリー・ラーマがそこにおられるかのように、主のサンダルを礼拝した。彼はシュリー・ラーマのサンダルの名の下に王国を治め、自分自身はラーマのしもべのように振る舞った。
これが、パダセーヴァナ・バクティである。
アハーリヤーは、主の御足の塵を得て、自分の人生の目的が達成されたと感じた。
シュリーマド・バーガヴァタにはこう説かれている。
「聖者たちの帰依処であり、至福に満たされている主の御足に帰依した者にとっては、世俗の存在の海は、仔牛の足跡のような浅瀬に変わる。彼はすでに、至高なる境地に至っているのだ。世俗的な苦しみや困難は、彼の前には現われない。」
シュリー・ラクシュミーデーヴィーは、このバクティの実践を楽しんでいる。彼女は永遠に、シュリー・ハリの御足に仕えている。主ヴィシュヌは、その御足をシュリー・ラクシュミーデーヴィーの膝の上に置いている。シュリー・ラクシュミーデーヴィーは、パダセーヴァナ・バクティの模範である。