グル・バクティヨーガ(86)「献身の様相」
◎献身の様相
グルへの揺るぎない帰依と献身は、神の悟りを得るための非常に有効なメソッドとして見なされている。
グルへの真の献身とは、グルの栄光を常に念想することと、すべての人にグルの聖なるメッセージを広めることである。
師の聖なる御足への献身は花であり、彼の祝福は不朽の果実である。
人生の目的は、最終的に苦しみを与える悪しき交際を避け、不死を授けてくださる聖なる師の蓮華の御足にお仕えすることである。
本当の人生は、その実践者に終わりなき幸福を授けるグル・バクティのヨーガに帰依するときから始まる。
生と死、快楽と苦しみ、喜びと悲しみの絶え間ないサイクルから逃れることはできるのか? 聞きなさい、おお、弟子よ。一つ確実な道がある。すぐに消えてしまう感覚の対象から心をそらし、あなたを二元性を超えたところに連れて行ってくれるグル・セーヴァ・ヨーガ(グルへの奉仕のヨーガ)に頼りなさい。
本当に永続する幸福は、グル・シャラナ・ヨーガ(グルを唯一の避難処とするヨーガ)に帰依することによって得られるのであって、すぐに消滅してしまう外的な対象の中にあるのではない。
グル・バクティヨーガ、グル・セーヴァ・ヨーガ、グル・シャラナ・ヨーガなどは、すべてがグル・バクティヨーガと同意語である。それらは同一である。
ある人々は、グル・セーヴァ・ヨーガは劣ったヨーガであると考えている。彼らは霊性の秘密を完全に誤解している。
グル・バクティヨーガの実践は、グルへの強烈で純粋な愛を意味している。
祝福された師の蓮華の御足への献身は、徐々に磨かれなければならない。そこに近道はない。
グル・バクティヨーガは科学の中の科学である。
祝福された師の蓮華の御足は、真の弟子にとって、瞑想の最高の対象である。
グル・バクティヨーガは、あらゆるヨーガの中の王である。
散乱した心の光線をグル・バクティヨーガの実践によって一つに集約したとき、不思議で驚異的な働きが可能となる。
すべての偉大なる魂、すべての優れた指導者たちは、グル・バクティヨーガの実践を通じて偉大なる仕事をしてきた。
グルと神は一つであると考えるグル・バクティヨーガ派によると、グルへの完全なる明け渡しこそがまさにエッセンスである。
グル・バクティヨーガはすべてのヨーガを包含している。グル・バクティヨーガに頼らなければ、歩み難き他のヨーガを実践することは誰もできない。
グル・バクティヨーガ派は、「アーチャーリヨーパサナ(師への信仰、礼拝、献身、瞑想)」を通じて「グル・クリパー(グルの恩寵)」を獲得するための、素晴らしい事例を上げている。
グル・バクティヨーガは、ヴェーダやウパニシャッドの時代のような遙かな昔から存在する。
グル・バクティヨーガの信奉者は、心の純粋性を得させ、瞑想と悟りを与えてくれる、グルへの奉仕を大いに重視している。
自らの栄光そのものであられるグルの幸福のために献身する者は、祝福された存在である。