「解説『至高のバクティ』」第4回 「バクティ」④(1)
2012.07.04 至高のバクティ4
はい。今日は『至高のバクティ』の一番最初の「バクティ」というテーマの二ページ目のところからですね。今日はちょうど「グルの満月」なので、非常にいいテーマの作品ですね。
これは前にも言ったようにこの「バクティ」と書かれているこの作品は、もともと『ナーラダバクティスートラ』といわれる、インドのバクティヨーガの中心的な経典の一つがあります。それの直訳ではないんですけども、ちょっと日本語的に分かりやすくまとめ直して、若干アレンジ加えた作品がこの「バクティ」っていうやつですね。
はい、じゃあ前回からの続きで、二ページ目の「至高者への至高の愛を実現するための方法を……」というところですね。
【本文】
至高者への至高の愛を実現するための方法を、聖師たちは次のように歌う。
それは、現世的快楽への愛着を放棄することだと。
それは、不断の礼拝を行なうことだと。
それは、至高者の本質を学び、それを唱えることだと。
だが最も大事なことは、至高者の慈悲によって、自分を導いてくれる聖なる師と出会うことである。
聖なる師との出会いは、まことに稀なものであり、聖なる師の導きは、まことに理解し難い。しかし聖なる師への帰依は、必ず結果をもたらしてくれる。
なぜなら、聖なる師と至高者は同一だからだ。
はい。まず「至高者への至高の愛を実現するための方法を、聖師たちは次のように歌う」と。
でね、いつも言うけどもさ、皆さんはやっぱりとても幸せ者だと思うし、あるいはとても徳があると思いますね。つまり、何度も言いますけど、これはわたしの個人的な話としていつも言っていますが、中学生ぐらいからいろんな修行を始め、最初は非常に行法的なヨーガから始め、仏教的な、ジュニャーナヨーガ的な、あるいはバクティヨーガ的なものとかいろいろこうやってきたわけだけど、その結論として、やはりバクティヨーガは最高だと。もちろん表裏である菩薩行ももちろん素晴らしいわけですけど、このバクティヨーガと菩薩行のエッセンス、これは本当に素晴らしいと。それはわたしが例えば最初は分からなかったように、普通最初はなんかよく分からないんだね。うん。もっと違う道の方が素晴らしいと思っちゃうんだけど。
まあ、もちろんさ、実際にはカルマ的なものもあるから、違う道で行った方が今生はいい人もいるのかもしれない。だから少なくともわたしの見解として聞いて欲しいけども、少なくともこのカリユガにおいて、今の現代において最高の道は、これはまさにバクティヨーガだと。
じゃあバクティヨーガって何だ?っていった場合に、これも非常に難しいわけだけど。このあいだも言いましたけども、ここに書かれている、例えば――いきなりね、ここでも「至高者への至高の愛を実現するための方法を」っていう文章がいきなり出てくるわけだけど、もうつまり大前提なんだね。何が大前提かっていうと、至高者への至高の愛を実現しなきゃいけない。