本当の教え、教えの本当
本当の聖者、本当の聖典、そして本当の師の言葉というものは、実際に道徳的に頭で理解し、納得し、実践するというよりは、迷妄なる我々に与えられた秘密のサインである。
誤解を恐れずにいえば、盲目的にでもそれに従い、実践することによって、神に、悟りに導かれるサインなのだ。
仏教でもヨーガでも、「学び、考え、瞑想・実践する」というプロセスが推奨される。しかしここでいう「考える」というのは、実際に頭で理解することではない。考えるというプロセスを通過することによって、心を浄化しているのだ。
もちろんそこで考えることによって、理解したという錯覚が生じる。それは良い錯覚ではあるが、本当のところは実は理解しておらず、これは理解していようがいまいがひたすらに実践し続けることによって道が開けるサインなのだという柔軟な思考が必要なのだ。
故にそのような柔軟な心構えで、強い信を持ち、本当の聖者・聖典・師の教えを、学び、考え、瞑想し、実践せよ。
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