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要約・ラーマクリシュナの生涯(27)「ドッキネッショルを訪れた様々な修行者たち」④

◎ナーラーヤン・シャーストリ

 ドッキネッショルにやって来た求道者の中には、ラーマクリシュナに強い信仰を持ち、ラーマクリシュナから直々にイニシエーションを受けた者たちもいた。その中で有名な一人はナーラーヤン・シャーストリである。
 ナーラーヤン・シャーストリは、古代インドの賢者のように、禁欲をしながら25年にわたってたゆまずに聖典を学んでいた。彼はヒンドゥー経の六派哲学を完全に習得することを望んでいた。そのうちの五派についてはすでに学び終えていたが、ニャーヤ哲学についてはベンガル地方の優れた論理学者のもとで学ぶ必要があったために、彼はあるときベンガル地方のナディアにやって来て、七年間をかけてニャーヤ哲学を学び終えた。
 彼がナディアに来る前、五派哲学までを学び終えた時点で、彼の名前は既に故郷で知れ渡っていた。あるときジャイプールのマハーラージャが、彼を高い給料で宮廷のパンディットとして迎え入れたいと申し出てきたが、ナーラーヤンは六派哲学を完全に習得したいという思いに燃えていたので、その申し出を断り、ナディアに行ったのだった。

 こうして望み通り六派哲学を完全に習得し終えたナーラーヤン・シャーストリは、故郷への帰り道、その道すがらにあったドッキネッショルのカーリー寺院に立ち寄り、そこでラーマクリシュナと出会った。

 多くの学者は、聖典の知識が増えるたびに、プライドと慢心に陥っていく。しかしナーラーヤン・シャーストリは、普通の学者とは違っていた。彼は聖典の知識を得るにしたがって、どんどん無執着の精神が増していった。そして、聖典の知識を真に自分のものとして体験するには、実際にサーダナー(成就修行)に励む必要があると考えるようになっていった。そしてついに六派哲学を知識の上で学び終えたことで、今後は故郷に帰り、実際に智慧を得るための修行に励もうと考えていた。このようなときに彼は偶然、幸運にもラーマクリシュナと出会ったのだ。

 当時ドッキネッショルのカーリー寺院は、食品その他、修行者に必要なものが無償で提供され、サードゥや求道者が何日間でも自由に滞在できるようになっていた。しかもそこには大変魅力的な聖者(ラーマクリシュナ)がいらっしゃる。そこでナーラーヤン・シャーストリは、しばらくの間このカーリー寺院に滞在することにした。

 ラーマクリシュナを知れば知るほどに、ナーラーヤン・シャーストリのラーマクリシュナへの愛と尊敬の念は深まっていった。また、ラーマクリシュナも素朴で偉大な求道者であるナーラーヤン・シャーストリがやってきたことを喜び、神を語らいつつ多くの時間を過ごしたのだった。

 やがてナーラーヤン・シャーストリは、自分が学んできた聖典に書いてあるさまざまな境地を、実際にラーマクリシュナが体得していることに気が付いた。彼は思った。

「ああ、なんと驚くべきことだろう! 聖典に記された隠れた意味を教え、注釈できる人が、あのお方以外にいるだろうか? この機会を逃してはならない。何としてでも完全なるブラフマンの叡智に直接至る方法を学ばねばならない。人生は不確実だ。いつ死ぬかもしれない。真智にたどり着かないままに死ななければならないのか? いや、そんなことがあってはならない。せめて神を悟るまで最善を尽くすのだ。帰郷は延期しよう。」

 ラーマクリシュナとの聖なる交わりを繰り返すうちに、ナーラーヤン・シャーストリの放棄の精神と神へのあこがれはますます強烈になっていった。「学識で人を魅了してやろう。マハーマホーパディヤエー(最高の博識者の称号)となって、名声と地位を築こう」などという賤しい取るに足らない願望は、心から完全に消えてしまった。ナーラーヤン・シャーストリは謙虚な弟子としてラーマクリシュナのもとにとどまり、その甘露の言葉に熱心に聞き入った。神以外の何ものにも心を置かないことを決意していた。神を悟るための誠実な努力に全力を尽くすことを決意したのだ。
 
 彼はこう考えた。

「ああ、師は人生において知るべきことを知っておられる。何と穏やかでこだわりのないお方だろう! 死さえも克服しておられる。マザー・カーリーの恐ろしいお姿も、普通の人を脅かすように師を悩ますことはもはやない。
 さて、ウパニシャッドのリシは、偉大な魂が決意することは実現すると言っている。真にそのような人の恩寵を賜るなら、世俗の欲望から解放されて完全なるブラフマンの叡智に至るのだ。それならばどうして師にしっかりとおすがりして、ご加護を求めないことがあろうか?」

 こう考えたナーラーヤン・シャーストリは、ドッキネッショルにとどまって師との聖なる交わりの日々を送りつつ、師ラーマクリシュナから正式にイニシエーションを受けて世を捨てて、師の加護を受けながら厳しい修行に励むことを決意した。しかし自分にはその資格がないかもしれないと思うとそれを師に言い出すことができず、時が過ぎていった。

 あるときついにナーラーヤン・シャーストリは、ラーマクリシュナに自分の思いを打ち明けた。ラーマクリシュナは同意し、ナーラーヤン・シャーストリにイニシエーションを授けて世を捨てさせた。ナーラーヤン・シャーストリはその後、アッサムにあるヴァシシュタ・アーシュラマに行き、ブラフマンを悟るまで厳しい修行に励むことを決意した。彼はそれを師ラーマクリシュナに報告し、眼に涙を浮かべつつ師に祝福を乞うと、師に礼拝をして旅立っていった。

 その後のナーラーヤン・シャーストリの消息は知られていない。ヴァシシュタ・アーシュラマでの厳しい修行中に病気で亡くなったという人もいた。

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