解説・心の訓練(46)「常に心に喜びだけを」
◎常に心に喜びだけを
はい、そして、「常に心に喜びだけを育んでください」。
これも二つの意味があると思うね。つまり一つは、「理由ある喜び」。二つ目は、「理由無き喜び」です。
理由ある喜びっていうのは、これはつまり、いろいろ教えによって自分を奮い立たせる。これによって常に喜びの心を持つっていうことですね。
これはいろいろあると思います。例えば、「いや、自分は本当に、類まれなチャンスによってこの教えとめぐり合ったんだ」と。「なんてわたしは恵まれてるんだろう」と。で、「このような修行ができるってことは、とてもわたしは嬉しい」と。「いや、本当に素晴らしいな」と。
あるいは、「ああ、本当に至高者の愛ってのは無限である」と。「その中にわたしはいつもいて、なんてわたしは素晴らしいんだ」と。こういうことを常に考える。
これはいろんなパターンで――つまり論理的にね、こうでこうでこうだから、わたしは本当に素晴らしい、嬉しい――こういう気持ちを常に持ち続ける。ね。これはもういろいろあるでしょう。例えば、人がちょっと修行進んだのを見て、「本当よかったね!」と喜ぶと。ね。あるいは自分自身が、例えば昨日よりもちょっと心が変わった気がすると。「ああ、本当よかった」と。
これはもう、いつも言うように――これは喜覚支っていうんだけど――もう大袈裟なくらいにやってもいいんです、それは。つまりちょっとの進歩を喜ぶんだね。
何度も言うけど、それは慢心になっちゃ駄目だよ。慢心にならずに――慢心ってのはつまり、そこでストップしたらそれはもう慢心です。常に前進の心があるんだけど、その一つ一つの進化を喜ぶんだね。
でも、目標は遥か高いんですよ。遥か高いんだけど、ちょっとでも進歩したら常に喜ぶ。大袈裟なぐらいにね。もう世界がすべて変わってしまったのってぐらい喜ぶ(笑)。これは一つ大事だね。
◎理由なき喜び
で、もう一つは、そういうのは関係なく、理由無き喜び。つまり、常に朗らかであれってことです。常に心に喜びを持てと。
これも『入菩提行論』とかにもそういうのあるね。常に心に喜びを持つ。で、『入菩提行論』にもありますが、常に笑顔でいることも大事だね。常に笑顔でいなさいと。
これは仏教の教えで結構そういうのあるんだね。常に笑顔でいなさいと。人と会ったら、先に笑いなさいって教えがある。先に笑うんだね。つまりブスっとしてて、相手が――相手が笑っても、ブスっとしてたらそれは最悪だけど(笑)――相手が笑って、こっちもニコっとする。それはそれでいいんだけど。じゃなくて、人と会ったら先に笑顔を向けなさいと。
でも、心が暗いのに笑顔を向けるのは、それは偽善じゃないですかというかもしれない。それは偽善じゃない。さっきの、言葉が心を変えるっていったのと同じように、われわれの表情や、あるいは行動が心を変える場合もあります。だから心が暗くても、無理やりでも笑顔でいるうちに、だんだん変わってきます。なんか明るくなってくる。ね。あるいは、それは周りに対してもそういう影響を与えられるかもしれない。
だから暗い中に、例えば、みんながどよーんとしてるときに、例えばM君が入ってきて、ずーっとニコニコしてたら、なんかみんなニコニコしてくるかもしれない(笑)。「まあ、いいか」みたいな感じになるかもしれない(笑)。例えばね。だから笑顔でいるとか、あるいは常に心に喜びを持つって大事だね。
で、これは「理由無き喜び」です。もちろん理由があってもいいんだけけどね。理由があったらそれは素晴らしいけど、理由無くてもいいってことです。理由無くてもいいから、喜んでなきゃいけない。
だから、自分が暗いと思ったら、なんとかして自分を喜ばせてください。明るさを取り戻してください。何でかっていうと、これは『入菩提行論』にも書いてあるけど、まず、そのわれわれの心に暗さがある、憂いがあるところに、怒りや煩悩の悪魔は忍び込むんです。心がハツラツとして明るかったら、あまり怒りであるとか、あるいはいろんなうじうじした悪い思いっていうのは出にくいんだね。だからまずは、常に明るく保つんです。ベースとして。
で、何もなく明るく保てればそれは最高なんだけど、なかなかそういかない場合は、もちろんいろんなことを考えてかまわない。自分に言い聞かせてね。
例えば、いろんなことがあって、ちょっと暗くなってて、「ああ、でも先生はいつも喜びを持っていろって言ったから、喜ばないといけないな。ああ、でもな……」っていうときに、「そうだ、わたしは至高者に愛されてるんだ」と。例えばMさんだったら、「いつもシヴァ神がそばにいるんだ」と。ね(笑)。例えば、空を見て、「ああ、シヴァ神がお月様として見守ってくださってる」とかね。そういう感じで、いろんなことで自分を鼓舞して、喜びの心を持つと。
もう何ていうかな、細かいことは要らないんです。「でも、こうでしょ、こうでしょ」なんて、そんなの関係ない。とにかくどうでもいから、まずベースとして喜びの心を持つんだね。そうでないと、なかなかその先に進めない。
よって、まずは喜びの心を常に育んでくださいと。だから、これも心の訓練として、頭の中の片隅に入れておいてください。
だからこの心の訓練の教えっていうのは、つまり今日教えを学んで、「ああ、いい教えでしたね」で終わるんじゃなくて(笑)、頭の中に今まで学んだことを全部インプットしておいてください。で、この喜びを持つっていうのも、みなさん忘れがちなので、ちゃんとインプットしておいてください。常に喜びの心を持つと。つまり、悲しいときも、苦しいときも、不運なときも、喜びの心を持つと。心がちょっと暗くなってたら、明るくすると。まあできれば表情も、あるいは言葉や仕草も。周りに人がいる場合はね。明るく保ち続けると。
特に菩薩行を行く場合っていうのは、菩薩の修行っていうのはそういうちょっと辛いところがあるんだね。辛いところってのは、自分が苦しくても、やっぱり明るくしなくちゃいけない。周りを導かなきゃいけないわけだから。だから自分の苦しみを聞いてほしいとか、そういうのはもうどうでもいいんです。菩薩の道を歩く場合はね。もう自分のそういうものは二の次だと。そんなことはどうでもいいと。とにかくみんなのために明るい気持ちを持ち続ける。
もちろんそれは自分のためでもあるんだけど。自分自身にとっても、うじうじと「こんなことがあって、こんなことがあって……」って考えるよりは、わーって明るい気持ちを持ち続けた方が、自分にとってもメリットが大きい。
人間って馬鹿だからさ、デメリットがあることをいつまでも考えるんだね。「こんなことがあって、こんなことがあって……」――え? そんなの忘れたほうがいいのにって思うんだけど(笑)、忘れるのはしゃくのような感じがする(笑)。しゃくのような気がするその気持ち自体が、自分に大きなデメリットを増大させてるだけなんだね。
だから、そんなのはもうどうでもいいと。常に明るい気持ちを持ち続ける。これはとても大事なことですね。
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