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ニティヤーナンダの生涯(1)

ニティヤーナンダの生涯

◎ニティヤーナンダの神性

 クリシュナダース・カヴィラージは、こう言っています。

「ニティヤーナンダは、クリシュナの兄のバララーマです。
 ちょうど、ヴラジャのシュリー・クリシュナがナヴァディープのシュリー・チャイタニヤであるように、ヴラジャのバララーマはナヴァディープのニティヤーナンダなのです。」

 シュリー・クリシュナとバララーマの間に違いはありません。
 バララーマは、シュリー・クリシュナの第二の体なのです。
 シュリー・クリシュナはバガヴァーンそのものであり、すべての化身の源です。
 バララーマは、リーラーにおいて主をお手伝いするために別の体で現れた、主の第一顕現なのです。
 それゆえにマハープラブは、バララーマあるいはニティヤーナンダを、バガヴァーンとは別の存在と見てはいけないと釘を刺していました。

 しかし、ニティヤーナンダはバガヴァーンであるにもかかわらず、バクタとしての自負心を持っており、彼の態度は奉仕者のそれでした。
 リーラーのために、仕えられる者(セーヴィヤ)、そして仕える者(セーヴァカ)としての二つの異なる姿で顕現したのは、同一の主なのです。
 シュリー・クリシュナはセーヴィヤであり、バララーマはセーヴァカです。

 シュリー・クリシュナはリーラーマーヤーです。そのようにして、彼は常にリーラーに夢中になっているのです。
 バララーマは「彼」のリーラーにおいて「彼」の手助けをしました。
 彼はまた、主の靴、衣服、装飾、傘などの姿をとって、さまざまな方法で「彼」の体にお仕えしています。
 「彼」の部分的権限――マハーサンカルシャナ、カラナブディーシャイー、ガルボーダシャイー――は、宇宙の創造、維持、破壊の仕事を行います。

 バララーマがクリシュナにさまざまなやり方でお仕えしたように、ニティヤーナンダもさまざまな方法でチャイタニヤにお仕えしました。
 ニティヤーナンダ(バララーマ)もまた、バガヴァット・タットヴァと相違ないグル・タットヴァです。
 ニティヤーナンダは、スマスティ・グル(すべてのグルの本質)であり、すべてのヴィヤスティ・グル(個々のグル)は、彼のさまざまな腕です。
 そのグルの慈悲なしでは、バガヴァーンあるいはプレーマを得るのは不可能なのです。

 ニティヤーナンダはバララーマと同一でありますが、また彼とは違った特有の様相があります。
 バララーマはクリシュナのパリカラ(友)であり、ニティヤーナンダはシュリー・チャイタニヤ・ゴウランガのパリカラです。
 神のリーラーにおいて、バヴァガーンの望むようにバガヴァーンを手助けするのがパリカラの役割です。

 クリシュナがヴラジャで楽しまれたリーラーは、プレーマ・リーラー(愛の遊戯)でした。
 彼はプレーマ・リーラーを楽しまれましたが、プレーマを分け与えたわけではありませんでした。
 そう、バララーマは慈悲の権化であったにもかかわらず、ヴラジャ・リーラーにおいて、プレーマを分け与えなかったのです。

 ゴウランガが楽しまれたリーラーは、資格があるなしを考慮せずに、誰も彼もにプレーマを分け与えた、つまり、プレーマ・ダーナのリーラーだったのでした。
 ゆえに、ニティヤーナンダの慈悲の海は、資格があるないの境界を越えて流れだし、彼は家々をまわり、ブラフマーやラクシュミーが望んでも得られないゴーピー・プレーマを、ブラーフミンにもシュードラにも、敬虔な人にも不敬虔な人にも、男にも女にも分け与えたのでした。

 ニティヤーナンダがバララーマよりも秀でている重要な様相として、ラサがあります。
 これはチャリタ・シュッダに以下のように述べられています。

「ゴウランガはクリシュナとラーダーが合わさって化身したように、ニティヤーナンダはバララーマとアナンガ・マンジャリが合わさって化身したのです。それゆえに、ニティヤーナンダは、バララーマとアナンガが持っているあらゆる種類のバーヴァとラサの宝庫なのです。それに加えてニティヤーナンダには、何に例えようもない、他に類を見ない独特なラサがあります。」

 シュリー・ヴリンダーヴァナダース・タクルは、ニティヤーナンダのバーヴァとラーダーのバーヴァを比較している詩の中で、それらの説明をしています。
 その詩は以下の通りです。

 ――ニタイはゴウラの左に座り、甘味に微笑み
 彼をプラナナート(ダーリン)と呼んだ。
 ニタイはずっと彼と一緒にいて
 ラーダーは心から自分もそうしたいと願っていた

 そして最後の詩にはこう綴られています。

 ――ヴリンダーヴァナダースは言う
 ニタイは、まるでラーダーのようだった

 また、ヴリンダーヴァナダースはニティヤーナンダのことを、プールナ・シャクティ(完全なる力)、セーヴァ・ヴィグラハ(奉仕の権化)、そしてムールティ・マナ・クリシュナ・プレーマ(クリシュナ・プレーマの権化)と呼びました。

 クリシュナダース・カヴィラージが彼をタットヴァ・シマ(真理の最高点)と呼んだのは、ニティヤーナンダがラーダーのラサを含んだ、最高のラサの宝庫だったからです。
 ヴリンダーヴァナダース・タクルが、ニティヤーナンダの顕現を理解するのは難しいと言ったのは、それゆえなのです。 
 シュリー・チャイタニヤの慈悲に与った者だけが、それを理解できるでしょう。

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