要約・ラーマクリシュナの生涯(10)「神への熱意と最初のヴィジョン」
10 神への熱意と最初のヴィジョン
かつてゴダドルの父が亡くなったとき、ゴダドルはまだ幼かった。それゆえゴダドルは子供時代から、母チャンドラデーヴィーと長兄ラムクマルの愛深い庇護のもとに育った。ラムクマルとゴダドルの年齢は31才も離れていたので、ゴダドルはラムクマルを父のように慕っていたのである。そのような兄の突然の死は、ゴダドルの心に、どれほど世の儚さを印象づけ、放棄の火を点ずることに力を添えたか、誰もはかり知ることはできない。
この頃からゴダドルはいっそう熱心に『母なる神』を礼拝するようになった。毎日の決められた礼拝の時間が終わっても、ゴダドルは聖堂の母なる神のそばに座って時を過ごし、彼女そのものに没入していた。たとえ一瞬でも、虚しいおしゃべりに時を過ごすことを極度に嫌った。そして真昼や真夜中など、聖堂の扉が閉められている時間には、パンチャヴァティの周囲の密林に入り、母なる神の熟慮と瞑想に時を過ごすのであった。
ゴダドルのこのような行動を、フリドエは理解できなかったが、ゴダドルの性格上、止めても無駄であることは分かっていた。しかしこの傾向が日に日に増大していくのを見ると、フリドエは心配をつのらせた。特に、ゴダドルが毎晩眠らずに寝床を抜け出してどこかへ行くのを知ると、非常に心配した。彼は昼間、聖堂での祭祀において、かなりの重労働をしていたからだ。それなのに毎晩眠らないでいたら、健康が害されるに違いない。そう思ったフリドエは、自分の力の及ぶ限り、ゴダドルを正常な状態に戻そうと決心した。
パンチャヴァティの周囲の土地は、当時は今のような平地ではなく、穴や溝や密林などで占められていた。その密林の中に一本のアマラキーの木が生えていた。その密林のあたりは墓地でもあったので、人々は昼間でも滅多にそのあたりには行かなかったし、夜中にその密林に入るなど論外であった。ゴダドルは毎晩、その木の下に座って瞑想した。
フリドエはあるとき、その木の下で瞑想しているゴダドルに、物陰から石を投げるなど、様々な方法で邪魔をした。これは二、三日続いた。ゴダドルはこれがフリドエの仕業であるとわかっていたが、何も言わなかった。
あるときは、フリドエが遠くから見ると、ゴダドルは、身につけている布も、聖糸も取って、真っ裸になって瞑想していた。フリドエは驚き、ゴダドルに近づくと、「これは何ですか!? 聖糸も布も取って丸裸になるとは、いったい何ということなのですか!」と言った。
何度かこのように呼びかけられて通常意識を取り戻したゴダドルは、こう言った。
「君に何がわかるか。このようにすべての束縛を脱した上で、人は瞑想すべきなのだよ。
生まれたときから人は、憎しみ、恐怖、恥、嫌悪、エゴイズム、虚栄、生まれの良さ、及び脅迫的善行という八つの束縛の下で苦労している。聖糸もやはり束縛だ。【私はブラーフマナであって、他の誰よりも優れている】というエゴのしるしだもの。【母】に呼びかけるときには、このような束縛は全部捨てて、専心して呼びかけなければならない。だから、これらのものを脱ぎ捨てるのだ。」
フリドエは、かつてどこでも聞いたことがないようなこれらの主張を聞いて、驚きあきれ、答える言葉もなく、その場を去った。
ゴダドルの常軌を逸した信仰と熱意を見て、多くの人々は最初、彼をあざけった。しかし時が経つにつれて、徐々にゴダドルを尊敬する人が増えていった。モトゥルはゴダドルのそのような姿を見て、喜んでラニ・ラスモニに、このように報告した。
「我々は別格なる礼拝者を獲得しましたよ。女神もじきにお目覚めになるでしょう。」
日が経つにつれて、ゴダドルの信仰と熱意はますます深くなっていった。絶えず母なる神にだけ向けられている彼の心は、肉体に様々な兆候を現した。眠りと食事の量が減った。体内の血液が常に胸と脳に向かって動くので、彼の胸は絶えず赤みを帯び、目は時折、突然涙でいっぱいになった。そして心中には絶えず、どのようにしたら母なる神のお姿を見ることができるのだろうかという焦燥感があった。それゆえ彼には常に、瞑想や礼拝に没頭しているとき以外は、平静さを欠いた落ち着きのなさが見られた。
そのような日々が続いたある日、ゴダドルは、自分は母なる神を見神することができないのかもしれないという思いにひどく苦しみ、絶望のために死にそうになった。苦悩の中で、それなら自分はこの世に生きている意味がないと思った。突然、ゴダドルの視界に、母なる神の聖堂にかかっている剣が見えた。その瞬間、ゴダドルは、その剣でみずからの命を絶つ決意をした。狂った者のように走っていき、ゴダドルがその剣をつかんだ瞬間、ゴダドルは母なる神の驚くべきヴィジョンを見、気を失った。――それから外界でどのようなことが起こったのか、その日と次の日とがどのように過ぎたのかをゴダドルは全く認識していなかったが、その内側でゴダドルは、かつて経験したことのない強烈な至福の流れを経験し、母なる神の光を直接に見、経験していたのだった。
このときの経験の一端を、後にラーマクリシュナはこのように語っている。
「まるで、家々も扉も聖堂も、他のすべてのものも、全部が一緒に姿を消してしまったかのようだった! そして私が見たのは、無限無辺際の、光である意識の海だった! どんなに遠くを見ても、またどちらの方向を見ても、猛烈なスピードで四方八方から暴風のように押し寄せてくる、光り輝く波の連続であった。瞬時にそれらは私の頭上に崩れ落ち、私を底知れぬ深みに沈めてしまった。私はあえぎ、もがき、気を失って倒れた。」
この最初の見神の体験の後、ゴダドルは、母なる神の直接的なヴィジョンに絶えず接していたいという熱心な思いに苦しんだ。時折その思いが非常に高じると、彼は地に倒れ、苦痛にもがいた。「恩寵をお与えください、母よ、お姿をお見せください!」と言って泣きに泣くので、人々が大勢、彼を取り巻いたものだった。後にラーマクリシュナはこのように言った。
「人々がぐるりと取り巻いて立っていたけれど、彼らは影かキャンバスに描かれた絵のように非現実的なものに見えたので、恥とかためらうとかいう感じなどは少しも起こらなかった。
そして耐え難い苦痛のために意識を失うや否や、私は、その手で恩寵を与え、恐怖から解き放ってくださる母のあのお姿――ほほえみ、語り、そして私を慰め、無限の方法で私に教えてくださるあのお姿を見たのである!」