勉強会講話より「聖者の生涯 ナーロー」⑦(2)
◎スイッチとバグ
で、その小さな試練――つまりティロー探しにおける試練があらかた終わって、ついにティローがね、まあ肉体を持ってっていうかな、目に見える存在としてナーローのもとに現われるわけですね。そこから今度は十二の大きな試練っていうのが始まります。ね。で、今度は実際に物理的にね、ティローがナーローに試練を与えていくわけだけども、これはだいたいパターンがあって、ティローが一年ぐらいずーっと座ってるんだね。何もしないでただ瞑想してるんですね。で、ナーローは一年間ずっと――もちろんティローの食事の用意をしたりとか、奉仕とかはしながら、それ以外の時間はずーっとティローの周りをグルグルと回って、懇願するんだね。「どうか教えをお与えください」と。それ自体がもうすごいけどね(笑)。皆さんだったらどうですか? 偉大な師匠に巡り会ったと。でもやっと弟子入りしたと思ったら、師匠がずーっと瞑想してるんですよ(笑)。一年間ですよ。一年間ずーっと瞑想して、たまに食事する以外はずーっと瞑想してると。それでもナーローは一年間懇願し続けるんだね。で、その一年くらい経ったときに、ティローが、「ついてこい」って言ってね、そう言っていろんな試練を与えるんだね。
で、その試練っていうのは、非常に分かりにくい。で、今日はその試練の四つ目くらいからですね。で、これは解説をできるようなものではないわけですけども、実際にはね、こういった聖者――特に密教行者の生涯とか、あるいは教えっていうのは、重層的な意味を持っています。重層的な意味っていうのは、簡単に言うとですよ、まず表面的な意味。それから、中程度の秘密の意味っていうかな、真髄の意味。それから最も深遠な意味。で、この三番目の最も深遠な意味っていうのは、これは――分かりません。分かりませんっていうのは、解説不能っていうか、完全にそのグルと弟子だけの世界なんだね。あるいはその、そこにおけるグルにしか分からない。これはだから、最も深遠なっていうのは、もう論理的には説明不可能なんです。論理的に説明不可能っていうのは、つまりね、何度か言ってるけども、この世界は幻の世界であると。幻の世界なんだけども、当然その幻っていうのは、ある種のシステムに則って組立てられてる幻なんだね。例えば密教とか、あと大乗仏教の華厳経とかでは、それをよくマーヤーの「網」ね、つまり神秘的な幻の「網」っていう表現をするんだけど。その網の目のように――まさにマトリックスみたいな感じなんだけどね。なんとなく曖昧な幻じゃなくて、完全な法則性を持って組み立てられてる幻のような世界があるんですね。
で、ですよ、この最も深遠な意味って言ってるのは、言い方を変えればですよ、これは二つあると思います。二つっていうのは、その幻の網の法則性に熟知したグルが、普通の人では分からない裏技的な方法で、弟子を悟らせてしまうんだね。だからこれは全く分からない。
例えばどういうことかって言うと、例えばわたしがTさんにね、「口の中にげんこつ入れてください」と言ったとするよ(笑)。「はい、口の中にげんこつ入れて、今日一日それで過ごしてください」と言ったとするよ(笑)。
(一同笑)
例えばだけどね(笑)。で、わたしはそれで、それ以上言わない。それ以上言わないっていうのは、「さあ、頑張れ! これを今日一日やれば解脱できるんだ!」とは言わないんです。ただ、ただそれ言うだけなんです。「口の中にげんこつ入れてみ」と――それだけなんです(笑)。「一日入れてみ」と。ね。で、それをTさんが、よく分からないけども口の中にげんこつ入れて(笑)、一日過ごしたときに、ハッと悟るかもしれない(笑)。
つまりね、今のは一つの例に過ぎないんだけど、例えばそういうことがあり得るんです。つまりそれが、この裏技っていうことで。
つまり教えっていうのはさ、ここに来てる人はもう何度もここで聞いてると思うけど、教えなんていうものは、うまーくつじつま合わせてるんです。つまり、納得しやすいようにつじつま合わせてるんです。っていうのは、人間っていうのは、納得しないとやらないから。ね。でも究極のことっていうのは、つじつま合わなくて当たり前なんです。つじつまなんて合わないです、もともと。だから途中段階まではもちろん論理的にね、合理的につじつますべて合うんだけど、本当の究極になるとつじつま合わなくなってきます。で、その部分をこの密教の、特に最高の密教においてはやるんですね。
だからここにおいては完全に弟子側のね、師匠に対する完全なる信が必要になります。だって教えと関係ないことやるんだから。このティローとナーローの話見てもそうでしょ? 「高いところから飛び降りろ」とか「火に飛び込め」とか訳の分かんないことばかりやるわけだね。でも別にそれはね、それによってナーローの信を試したとか根性を試したとか、そんな意味じゃないんだね(笑)。じゃなくて、そこにスイッチがあるんです。で、これは一つの意味ね。
もう一つ、似てるけどもうちょっと別の意味で言うと――まあ同じようなことだけど――裏道ではなくて、つまりコンピューターでいうとバグみたいのがあるんです。バグ(笑)。バグって分かる? つまり、完全にプログラミングされたこの世界なんだが、ちょっと綻びがあるんです。「あれ? ちょっとここおかしくない?」と。
あのさ、わたし実はあんまりコンピュータゲームとかやらなかったんだけど、みんなは結構ファミコンとかさ――最近でいうとなんだっけ(笑)?
(K)オンラインゲーム?
オンラインゲーム? うん。まあそういういろんなゲームをね、やってきた人は分かると思うけど、なんかプログラムのバグがあって――まあそれが裏技になったりするわけだけど。それによって奇跡的なことができちゃうことってあるよね?
例えばスーパーマリオとか――スーパーマリオとかわたしやらなかったけども(笑)――スーパーマリオとかで、ここでジャンプすると一気にここに行けるとかあるよね? それは製作者が意図してそうやったんじゃなくて、プログラムのバグによってね、間違いによってそういうちょっと綻びがあるみたいな。
で、そういうのが実際あるんだね。この幻の網の目の中に、そのバグみたいなのがある。で、それを利用する場合もあるんだね。これが最も深遠な意味。
だからこれは非常に分かりにくいっていうよりも、説明不能な世界(笑)。だから当然このティローとナーローの話には、そういったものが最も深遠な意味として含まれてるので、完全にこれらを説明するのは不可能なんだね。 でも逆に言うと、このナーローの生涯、ナーローとティローの物語っていうのは、その意味で貴重です。貴重っていうのは、今言った最も深遠な師と弟子の関係性を、これほど純粋にあらわしてる物語はないんです、実は。逆の言い方すると、他の聖者はだいたいつじつま合うんです。つまり、つじつま合うってことは逆に言うと、ちょっと降りてきてるんです。その世界のフィーリングがね、降りてきてるんだね。でもおそらくこのナーローっていうのはものすごい純粋な智慧と、それから――まだ完全な解脱はしてなかったけど――すごい純粋な智慧と信がね、師に対してあったんでしょうね。よって非常に純粋な形で、この密教の関係が行なわれてるっていうかな。
いろんな聖者の物語とか読んでも、だいたい皆さん分かるでしょ? 分かるし、共感する部分がよくあるでしょ? 「ああ、なるほど」って感じで。でもナーローって全然分かんないでしょ(笑)? 何が教訓なんだろうっていうか(笑)、よく分かんないっていうか(笑)。でもそれは、それだけある意味純粋なんですね。はい、それが最高の意味なんだけど。
で、表面的な意味っていうのは――これはあまり表面的な意味としては当てはまらないかもしれないけどね。でもあえて言うならば、例えばそうやってね、何を言われてもしっかりと師に従うことによって、自分をしっかりと師に合わせていったっていうかな、そういう説明はできるかもしれない。実際そういう説明をする人もいます。でもそれはあくまでも表面的な意味ですね。もうちょっと深い意味がある。
はい。で、その中間くらいの意味っていうのがあります。この中間くらいの意味もいろんな説があってね――それは説に過ぎないわけだけど、それはね、追々説明していたいと思います。