チャユルワ
チャユルワはチェンガパの家の中の仕事をすべて一人でおこなった。毎日の粉ひきによって、手の皮は裂けた。
ロという地においてはチェンガパは仏殿などを建立したが、その作業もチャユルワが中心に行ない、チャユルワの手がかかっていない土や石などは一つもなかった。
チャユルワは、
「私は智慧や功徳によって師をお喜ばせすることはできないけれど、体で奉仕できる限り、血肉が泡沫になってしまうまで専心して奉仕する」
と言っていた。
このような心構えを見てチェンガパは非常に喜んだ。
そして戯れにか真実にか、あるときチェンガパはチャユルワに、
「おまえは解脱してしまった。私を置いてけぼりにするな」
と言った。
また、あるときトゥルンパ・チェンポがチェンガパを訪ねて来たとき、トゥルンパ・チェンポは、
「あの小僧さん(チャユルワ)はどんな具合ですか?」
と訪ねた。それに対してチェンガパは、
「彼の信と智慧は私より偉大である」
と答えた。
このようにチェンガパはチャユルワを非常に高く評価し、チャユルワがやってきてからのチェンガパの説法は、すべてチャユルワの教育のためにおこなわれた。
チェンガパがこの世を去ろうとしているとき、チャユルワが、
「素晴らしきお師匠様。来世においても、私のことをお心におかけくださいますように。」
とお願いすると、チェンガパはこう答えた。
「ダルマカーヤにおいて一つになるその日まで、私とおまえは決して離ればなれになることはないだろう。」
さて、人々は、チャユルワはチェンガパへの奉仕のみに日々を過ごしていたので、あまり教えには精通していないだろうと思っていた。実際にチャユルワは一日中、奉仕に時を過ごしていたので、他の弟子に比べて勉学に励む時間がなかった。
しかしあるときチャユルワが、灰を捨てに行こうと階段を下り、三段目に来たときに、突然、すべての経典の意味が、心の中に忽然と生じた。そこでチャユルワは師に対する奉仕行への信をいっそう強くし、こう言った。
「多くの修行者たちは、師に対する奉仕を努力せず、ただ教えのみを求めているが、これは誤りである。」
チェンガパの死後、チャユルワは、チャユルという地に寺院を建立した。そのチャユルにいるときに、ワクポ・ニントンという者が、チャユルワに質問をした。
「師よ、あなたのお心に二つの真理がいかに生じたのかをお話しください。」
「便宜的・限定的な菩提心と、究極の意味の菩提心の両者が、心の連続体に生じた。」
「自己の心そのものを省察して空ずるのですか? あるいは外界を省察して空ずるのですか?」
「矢の断片が体内にあるのに傷口に薬を塗りつけるような法が、何の役に立とうか?
また、盗人がすでに山林に去ってしまったのに、沼を追跡するような法が、何の役に立とうか?
よって、自己の心をこそ空ずるのである。これによって、外界の革帯はひとりでに解けてしまう。一切空性である。」
「そのような悟りは、いつ頃お心に生じたのですか?」
「師チェンガパへの奉仕をしていたときである。」
(「チベット仏教カダム派史」より)