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ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュ(1)

ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュの生涯

 私たちのような一般人にとって、偉大な聖者たちの活動の意図をはかることは、不可能であることがしばしばあります。
 人は自分の精神的キャパシティの中で判断し、時には偉人たちの行動の背景にある動機を理解しようとせずに批判することもあります。
 ブッダの伝記の中には、お釈迦様がヴェーサーリーの権力者たちからの晩餐の招待を断り、アンバパーリーという娼婦からの招待を受けたことに、権力者たちが失望したという記述があります。
 イエス・キリストの弟子たちは、イエスが社会的に軽蔑されていたサジタリアンの女性と話すのを見て驚き、シモンは、ある不道徳な女性がイエスの足に聖油を塗ることをなぜ彼が許可したのかと理解に苦しみました。
 同じように、シュリ・ラーマクリシュナは売春婦や酔っ払いたちに「道徳的嫌悪」を示していないとして非難を浴びました。
 しかし偉大な魂は、罪人たちさえ高徳な人々と同様に愛するという特徴を持ちます。
 実際に、ちょうど母親が五体満足の子よりも障害を持つ子に対してより多くの愛情を注ぐように、偉大な聖者も、自分勝手で聞き分けのない神の子供達に対してより多くの慈悲の念を抱くのです。
 結局のところ、善人が良いことをしてどれほどの栄光がそこにあるのでしょうか?
 仏陀やキリスト、ラーマクリシュナといった神人たちは、堕落者や虐げられている人々、貧困者に特別な愛情を注ぎ、彼らを素晴らしい意識状態に引き上げました。彼らは罪人を聖者に変えました。

 ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュは、シュリー・ラーマクリシュナの救済の力によって引き上げられた蝶でした。
 ギリシュはそれまで向こう見ずで快楽的な生活を送っていました。自らを放蕩者と主張し、向こう見ずで神に対して反抗的でしたが、それでも彼は強い性格で寛大な心を持つ男でした。
 1884年12月14日に行われたシュリー・ラーマクリシュナとのある会談は、ギリシュの人生に訪れた転機をよく表しています。

師「母なる神へ信仰を持ちなさい。そうすればお前はすべてを達成できるよ。」

ギリシュ「しかし、私は罪人です。」

師「罪を絶えず繰り返して言う哀れな人が、罪人になるのだよ。」

ギリシュ「師よ、私が座るこの地面は不浄になってしまうのです。」

師「どうしてそんなことを言うんだい? たとえ千年のあいだ暗闇に包まれていた部屋であっても、明かりが灯されれば闇は一瞬で消えるだろう?」

 少し間をおいてギリシュはたずねました。

「私はどうすればよいのか、教えてください。」

師「神にお前の代理人の権限を渡しなさい。そして彼に好きなようにしていただきなさい。」

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