解説「菩薩の生き方」第二十九回(2)

はい。そして、ちょっとここで解説は飛んじゃってるけど、本文の二行目は、「荒々しく声を出したりして椅子やベッドなどを突き倒したり、扉を叩いたりゆすったりしてはならない。いつも騒々しさを好まぬ者であれ」と。
この『入菩提行論』は、いつも言っているけど、そうですね、もちろんとても素晴らしいエッセンスの教えであると同時に、こういう、なんというか考え方とかあるいは行動規範における具体的ないろんな話も載っていて。で、これはつまり、なんというかな、菩薩としての行動の、あるいは考え方の項目のインプットというか、あるいは鋳型のようなものであると考えたらいいね。つまりこれらをわれわれは学ぶことで、そのように行動や心を合わせていくことで、理想的な菩薩の姿に近づいていくと。
この部分は、そうですね、人によって当然そういう人がいるわけだね。特にこれ、もちろんシャーンティデーヴァはインド人ですから、インドの場合ラジャス的な人が多いからね。まあ日本でもいるでしょう。で、これはつまり何が言いたいかっていうと、それってさ――笑顔と同じだけどね。性格とか、まあ性格っていうかその人の本当の心とか思っていることとかとは関係なかったりしますよね。何を言いたいかっていうと、荒々しく声を上げたりとか、あるいは荒々しい言葉を使ったりする人がいると。そうするとじゃあ地獄のカルマが強いのかっていったら、そういう場合もあるのかもしれないけど、実はすごい優しい人だったりするかもしれない。あるいは「椅子やベッドなどを突き倒したり、扉を叩いたりゆすったり」――この辺もいろんなシチュエーションが考えられるだろうけど、一つはまあ、なんていうか、実際にそういうちょっと荒っぽい性格で、椅子とかをバーンとすぐ蹴ったりとか、例えば誰かを呼びに行ったときとかに「さあ、時間ですよ! ダンダンダンダン!」「もう行きましょう! ダンダンダン!」とかやる人がいるかもしれない。でもこれって、生活環境とかさ、あるいは国の問題もあるだろうし、あるいはその人の、なんというか表面的な性格とかだったりしますよね。うん。だからといってその人がすごく悪い人っていうわけではない。そういう性格であると。あるいはそういう癖であると。
これは、だからここに挙げられてることだけじゃなくて、いろいろあるよね。例えばまさに、言い方が非常に荒っぽいとか、きついとか、あるいは何かっていうと、なんていうかな、すべて乱暴とかね。扉もガーンって開けてガーンって閉めて、ガンガンガンって歩いて(笑)。なんか相手に渡すときも「はい! ガーン!」ってやったりとか。これはもちろん習性によるものなんだろうけど、菩薩はそれは駄目だと。「騒々しさを好まぬ者であれ」と。
これは日本的な感じもしますよね。何度も言っているように、欧米にチベット仏教を広めた第一人者であるチョギャム・トゥルンパは、日本文化が非常に大好きで。茶道とか華道とかにすごく傾倒してね、華道に関しては師範とかの免許まで持ってるんですね。日本には多分、来たことないのかな、あの人。欧米でも華道とか流行っているからね、そういうのを学んで、免許まで持ってる。つまり日本文化っていうのはそういうところありますよね。騒々しさをもちろん好まないと。できるだけ、なんていうかな、静かに、ただただなすべきことをなすというかな。カルマヨーガ的な。あるいはまさに最近流行っている言葉で言うとマインドフルネス的な。一つ一つの所作に気高い動きを求めるっていうか。あるいは心の働きを求めると。だからそのフィーリングっていうのはとてもここで言っていることに近い感じがあるかもしれないね。
だから荒っぽいとか、つまり粗野じゃいけないってことです。もちろんチベットあるいはインドとかの、まあ、いわゆる聖者には、そういう荒っぽい聖者もいたよ。でもそれはその境地に達したからの話であって、達してもうやることなすこと荒っぽいと。それは聖者だから許されるっていうか、聖者はまあ変な話、もうなんでもありです(笑)。聖者というかある境地に達したら、心の赴くままに生きているから。それはまあそれぞれの使命であったりあるいはスタイルによっていろんなタイプの聖者がいる。それはオッケーなんだけど、そうじゃなくてわれわれはまだ、何度も言うように鋳型にはめている段階であると。つまり菩薩のスタイル、菩薩の生き方にガチッと、自分の駄目な、エゴに満ちた今までの生き方をはめ直して、自分をつくり変えている段階だから、その段階では理想的な行動をしなきゃいけない。で、その一つの指針が「荒っぽい行動をするな」と。
で、これはつまり一つは、その荒っぽい粗野な行動自体が、菩薩的な生き方と違うし、で、これもだから自分と他者に影響を与えてしまうね。自分に関してはもちろん、そのような荒っぽい動きによって、自分の心も粗野にしてしまうと。で、他人に関しては、やはりそれは、もちろん人によるだろうけど。ある人はそれを恐れるかもしれない。ある人は嫌悪するかもしれない。あるいはある人は平安な心が乱れてしまうかもしれない。そんな無駄なことする必要はないよね。だから常に菩薩は、自分の所作にもそのように気を付けて――もちろんみんなが、なんていうの、そよそよと茶道家とか華道家みたいになる必要はないよ。うん、なんかみんな勉強会に入ってきたときにこう(笑)――
(一同笑)
なんか歩き方も内股で(笑)。「どうも」みたいな。「Y君、どうも」みたいな感じで(笑)。それはちょっとやり過ぎだけど。でも言いたいことは分かりますよね。気高い感じで。もちろんやり過ぎは駄目ですけども、人に恐怖とか、あるいはちょっと人の平安を乱したりとかするような荒々しい、あるいは怒りを含んだような、あるいは怒ってなかったとしても、ちょっと、なんていうかな、荒っぽい、いろんな物の使い方とか、そういうのをやめましょうと。「常に騒々しさを好まぬ者であれ」と。
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