解説「菩薩の生き方」第二十七回(1)

2018年11月3日
解説「菩薩の生き方」第二十七回
【本文】
心を堅く決定し、はなはだ清らかに、不動に、(教えや師を)深く敬い、尊重し、(罪を)恥じ、おそれ、寂静に、(衆生を)なだめることに専心し、互いに矛盾する愚者の願望に倦(う)んで飽きることなく、「煩悩が生ずるから彼らにこのような心が現われるのだ」と哀れんで、常に非難されない事柄に自己と衆生とを従わせ、これなる私は、化現のように、心を我執無く保ちたい。
(人間に生まれて真理を実践できるという)最上の機会が、久遠の時を経てはじめて得られたものであることを、幾度も繰り返して思い起こし、このような心を、スメール山のごとく、ゆるぎなく保とう。
【解説】
先ほどは、どのような心のときに行動を止め、木材のようにあるべきかが説かれましたが、今度は、では常にどのようにあるべきか、ということが説かれていますね。
真理の教えを実践するという決意を心に堅く決める。
常に心を清らかに保つ。
常に心を動かさない。
師や教えへの深い尊敬の念を持ち続ける。
悪業を犯すことを恥じ、おそれる。
常に寂静の心を保つ。
愚者の意味のない欲望を見ても意気消沈することなく、彼らも煩悩の魔に巻き込まれた哀れな者たちだと、慈悲の心を持つ。
常に、真理の観点から非難されない状態に自己を置き、他者もそのようにさせる努力をする。
そして最後にある「化現のように、心を我執無く」というのは、まるで神通力によって作り出された幻のようにあれということですね。そこには「私は・・・」とか、「私の・・・」とかいう我執はいらないということです。
そして、我々がこの輪廻の中で、人間に生まれることは大変稀なことであり、しかも真理の教えに出会い、実践できるチャンスに巡り合うということは、とてつもない稀なチャンスなのです。それは前にも解説したとおりです。そのことを、繰り返し繰り返し思い起こし、何度も何度も自分の心に根付かせるのです。そしてその上で、上記のような心の状態を、ゆるぎなく保て、ということですね。我々には時間も余裕もないのです。このような心の状態を実践し、根付かせる努力をすべきなのは、まさに今、今なのです。
はい。何度も言ってるようにこの『入菩提行論』というのは、もともと大変な素晴らしい仏教の論書で。ただ日本ではあまり有名ではなくて、最近ちょっと、チベット仏教でね、重視してるので、チベット仏教が流行ってきて、日本でも少し名前がちらほら出てくるようになったけども、それでもやっぱり有名じゃないですよね。例えば今の仏教でいったら、何度も言ってるけど、例えば「マインドフルネス」っていう言葉が流行ってて。本屋とかに行くと仏教書コーナーっていうと、もうマインドフルネス、マインドフルネス、パーッて出てて(笑)。あるいはちょっと前は、いわゆる南方仏教のテーラヴァーダとかがすごく流行ってて、上座部がどうしたっていうのがバーッていっぱい出てたりして。この最も素晴らしいと言える『入菩提行論』に注目する人はあまりいないと。
何度も言ってるけど、例えばダライ・ラマ法王がチベットから亡命するときに、こっそり亡命したんで、荷物はあんまり持っていけなかったわけだけど。で、経典とかも、もちろんダライ・ラマだからさ、チベット中の膨大な経典を持ってたわけだけど、でも持っていけないと。そこでこの『入菩提行論』一冊だけを持っていったっていう話がある。あるいは例えば、チベットのいろんなお寺とかで、それぞれのカリキュラムがあって、いろいろカリキュラムは違うわけだけど、例えば初心者向け、あるいは、女性のね、尼僧とかのお寺では、まあそんなに難しい哲学とかは学ばないらしいんだけど、ただ、どこでも絶対に必ず学ぶのがこの『入菩提行論』であると。だからすべての核となるような、菩薩道の、大乗仏教や密教の核となる、素晴らしい経典なんだね。
だから、さっき歌いましたけど、「入菩提行論の歌」みたいな、ああいうのもほんとは素晴らしい。っていうのは、もし皆さんがこの『入菩提行論』のエッセンスを心に刻み、そして、仮にね、今生あまりまだ修行を成就できなかったとしても、死んだとしたら、そのエッセンスが皆さんを救ってくれます。あるいは来世生まれ変わったときに、そのエッセンスが皆さんをまた素晴らしい真理の方向へ導いてくれる。あるいは今生皆さんがいろんな問題や、苦悩やカルマの壁にぶち当たったときに、そのエッセンスが皆さんを助けてくれる。
まあいつも言うように歌っていうのはすごく心に根付きやすいんでね、だからあの「入菩提行論の歌」のような感じで、まあ百回って言ってますけども、百回超えてもさらにたくさん歌ったらいいね。それが自分の血となり肉となり、自然にそれがいつも出てくるような感じでね。
はい。それだけ重要な経典なわけですが、その中で今は「正智の守護」っていうところに来てますけど、この「正智の守護」も、非常に、ある意味『入菩提行論』の中心的なパートといってもいいくらいですね。つまり「正智」、いつも言ってるように念正智ね。つまり簡単に言うと、自分の心、あるいは行動、あるいは言葉、これらを常にチェックし続けるっていうことですね。チェックし続けて、もし間違っていたら正しい状態に戻すと。簡潔に言えばこれが念正智っていうやつだね。
はい。で、前回までは、マイナス面、つまり「こういう心を持っちゃいけませんよ」みたいなかたちでそれが挙げられ、で、それがどうしても直せないときはもう木材のようになれという教えがあったわけですけど、今度は逆に、「このような心を持ちなさい」と。
この『入菩提行論』のこの正智の章は、つまり全体的にそういう感じで、面白いっていうかな、具体的にいろんなアドバイス的なことがいろいろ挙げられてるわけだね。
はい。で、ここで今読んだように、さまざまな、どのようにわれわれが常にあるべきなのかっていうことがまず簡潔に説かれてるわけだね。
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