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解説「菩薩の生き方」第二十四回(5)

【本文】

 無正智という盗賊――それは念の壊滅をもくろんでいる者であるが――この盗賊のために、蓄えた功徳すらも奪い去られて、人々は悪趣に赴く。

 この煩悩という盗人の群は、我々への通路を探し求め、ひとたびそれを発見すれば、我々の旅費を奪い、幸福へ向かう生命を断つ。

 ゆえに、念は常に心の門から遠ざけられてはならない。念が離れ去った場合には、悪道の災厄を思い起こして、元に連れ戻されねばならぬ。

【解説】

 このたとえもすばらしいですね。
 我々は旅をしています。
 目的地は、幸福な心の世界、あるいは天の世界、あるいは解脱や悟りの境地です。
 その旅には当然旅費が必要なわけですが、この旅における旅費となるのが、功徳なのです。よって我々は、功徳をしっかりと積んで蓄えつつ、それをあまり無駄に消費しないように気をつけつつ、旅を続けるのです。
 しかしこの旅中には、常に盗賊に襲われる危険性があります。ここでは、「無正智」、すなわち「正智がない状態」が、擬人化されて「無正智という盗賊」と表現されています。
 この無正智、あるいは煩悩という名の盗賊は、いかに我々に忍び寄るかを考えています。それはいろいろな形で我々を惑わす魔の誘惑といってもいいでしょう。
 それは一見、他愛のないきっかけでやってくることが多いのです。それは苦しいことだったり、楽しいことだったりします。そうしていつの間にか我々は煩悩に巻き込まれていきます。
 その結果、我々はいつの間にか、心に汚れが増え、功徳が減った状態になり、とても幸福な世界や解脱の世界への旅など続けられなくなってしまうのです。

 よって、心の門から、念を遠ざけてはならないというのです。
 つまり、正しい教え、聖なる考え方を、常に心の守護者として置くのです。決して忘れずに。
 といっても、なかなか二十四時間、その聖なる心の状態でいるのは難しいものです。
 ハッと気づくと、我々の心からその正しい念はどこかへ消え去ってしまっています。
 しかし少なくともハッと気づいたときは、念がないことによって落ちる地獄の苦しみを思い起こし、念を元に連れ戻すのです。すぐに。そのような心構え、真剣さが必要です。

 はい。これも、有名な、すごく心に残る一節だね。ここに書いてあるように、これも例え話――旅の例え話ね。昔だから、旅をしてるといろんな、盗賊とかがやって来ると。で、ここで無正智――つまり正智がない状態、言い方を換えれば、さっきの逆で、しっかりと自分の心を観察できてない状態ね。あるいは別の言い方で、煩悩そのものといってもいいけども、そのような無智な状態、あるいは煩悩そのもの、これは念の壊滅をもくろんでると。さっき言った我々の正しい念、正しい心の状態が駄目になってしまうことを、この盗賊は常に狙ってると。
 で、「この盗賊のために、蓄えた功徳すらも奪い去られて、人々は悪趣に赴く」と。これは擬人化された例えだけども、非常に的確な例えだね。つまりもう一回言うけど、正智がないっていう状態、つまり、言い方を換えれば心から真理が吹っ飛んでる状態、吹っ飛んでることもわかってない状態――このような状態によって、われわれは、「蓄えた功徳すらも奪い去られる」。つまりもともとあったいい要素とか徳さえも、わけのわかんない悪業を犯しちゃったり、あるいはどんどん徳減らしちゃったりして、どんどん悪化してしまうと。それによってわれわれは、結果的に悪趣――地獄・動物・餓鬼に落ちてしまいますよと。

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