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解説「菩薩の生き方」第十八回(6)

 さて、次に本文は、この菩薩の修行を邪魔する人の話になってきますね。単なる修行者や善人の善を妨害することも、大きな罪になるのは当たり前ですね。しかし菩薩の修行を邪魔するということは、多くの衆生の幸福を邪魔するのも同じですから、そのようなことをする悪人の罪は、はかりしれないのだと言っているわけですね。

 このようにして――つまりまだ初心の菩薩は、自分の心が奮い立ったり、意気消沈したり、あるいは他人に邪魔されたり、いろんなことがありながら、前進したり後退したりしながら進むので、菩薩の第一ステージである「歓喜」と呼ばれる段階に進むことすら、なかなか手間取るし、大変なのだ、ということですね。

 だからこそ、全力を傾けて、菩薩は自己の誓願どおりに、修行し、周りの人々に良い影響を与え、最終的に彼らをこの苦界から救い出すために、全力を尽くさなければならないのです。そしてその「全力を尽くす」時は、まさに今なのです。この恵まれた菩薩としての生を生きられる今、まさに今なのです。

 はい、まず「菩薩の修行を邪魔する罪」。まあ、これは『シクシャーサムッチャヤ』とか『スートラサムッチャヤ』にもそういう話はよく出てきますが、さっきから言ってるように、菩薩の修行が進むかどうか、遅れるかどうか――これは多くの衆生の幸福の鍵を握ってるわけだから、大変なポイントであると。だから自分自身としては、それをしっかりと自覚して頑張らなきゃいけない。で、客観的に見た場合、もし誰かが、そのような大いなる責任を持つ菩薩の修行の邪魔をしたり遅らせたりしたなら、同じ理論でね、当然それは、それだけ、その菩薩だけじゃなくて、多くの衆生の救済が遅れるっていうことになるから、それを邪魔した人の悪業は計り知れないっていう話だね、ここはね。
 はい。で、それはそれとして、今まで書いてきたことのまとめとして、そのようにして、初心の菩薩は、つまり――菩薩っていうのは、いつも言ってるように、発願した時点で菩薩です。その時点で、つまり修行のステージは関係がない。発願をした時点で菩薩。だから本当に、赤ちゃんのような、始まったばかりの菩薩もいれば、あるいは、まだ達成はしてないけどもある程度進んでる菩薩もいると。で、特にその初心の、まだ菩薩道に入ったばかりの菩薩というのは、いろんな他者の影響を受けたり、あるいは自分の心が萎えたり、いろいろあって、奮い立ったり、逆に意気消沈したり、いろんなことがありながら、進んだり後退したりしながら進むんだと。
 まあ、これも『シクシャーサムッチャヤ』とか『スートラサムッチャヤ』にも書いてあるけどね。なんかありましたよね、「全然駄目な菩薩は、ちょっと進んでは、その数倍強力な妨害の風によって吹き飛ばされる」と。だから最初より悪いところに行っちゃうと。これは一番、まだまだ初歩の駄目な菩薩だね。で、だんだんそのような障害への抵抗力がついてきて、ある菩薩は、ある程度進んで、そのような障害がやって来て、で、スタート地点まで戻されると。ある菩薩は半分ぐらい戻されると。ある菩薩はそんなものは意に介せず、ものともせずに突き進んで行くと。だからものともせずに突き進めばいいわけだけど、実際には進んだり後退したりを繰り返すわけですね。
 もちろん、それだけこの修行の道自体が大変なわけだけど、菩薩道というものは本当に一筋縄ではいかない。本当に何度も倒れて当たり前の道であると。よって、いつも言うように、倒れるのは仕方ない。それはまだ、自分の中に悪しきカルマ、あるいは弱いカルマがたくさんあると。でもすぐ立ち上がることだね。倒れたらすぐ立ち上がると。もし悪しき心、悪しき状態に陥っても、すぐに立ち上がると。あるいは、自分の心が一瞬くじけたりしたとしても、すぐパッと持ち直すと。この心意気っていうかな、意識が重要ですね。
 はい。だからこそ、菩薩は全力を尽くさなきゃいけないんだと。繰り返すけど、それだけ菩薩道っていうのは大変ですよと。で、最初に言ったように、この道こそが価値がある、全力を尽くす価値がある道であると。で、同時に、価値があるだけじゃなくて、大変であると。一生を懸け、達成する価値があるんですけども、大変であると。だから、弱い心、あるいはあやふやな決意では決して達成されない道だと。だから断固たる決意、断固たる覚悟を持って、全身全霊を込めて、一生を懸けて、っていう気持ちで全力を尽くさなきゃいけないと。
 そしてそれをするとき、これは今なんだと。これはいつも言ってるようにね。皆さんが当たり前のように今修行してるわけだけど、このようなチャンスは本当に、何億生に一回やって来るか分からない。もちろんちゃんとその道を確定すれば何生もそれは続くわけだけど、それが分からないからね。今生ちょっと手を抜いちゃったら、パッとそのようなダルマから外れるかもしれない。この大いなるチャンスが目の前にやって来てると。ここで全力を尽くさなくてどうするんだということだね。
 「バクティヨーガの歌」にもあるように、過去のことはどうでもいい。どうでもいいっていうのは、過去において、多分、皆さんは全力を尽くしたこともあったかもしれないが、全力を尽くさなかったこともあったでしょう。例えばわたしも、例えば高校時代は柔道部だったけども、まあそのとき修行してたっていうのもあるけども、結構部活は、練習とか嫌いで、休みまくっていたと。もちろん学校の勉強なんて全くやる気がなかったと(笑)。でもそれはもうどうでもいい。あるいは皆さんも過去に、いろんなことで手を抜いたり、全力を尽くせなかったことがあるでしょう。それはもうどうでもいい。終わったことだし、それは修行と関係がない。でも今皆さんの目の前にあるこの道は、まさにここで全力を尽くさないとどうするんだと。ほかのことはどうでもよかったけど、これはどうでもいいとは言えない。今こそ、仮に皆さんが過去において怠け者であったとしても、あるいは過去において多くの不義理をしていたとしても、多くの過ちをしていたとしても、それはそれとして、今こそ、心を入れ替えて全力で、自分の全精力、全エネルギーを注ぐべきときだということですね。

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