解説「マハームドラーヨーガ」第一回

2010年1月9日
解説「マハームドラーヨーガ」第一回
はい。今日は「マハームドラー」ね。マハームドラーっていうのは、これはインドの仏教、特に密教的なね、仏教の伝統から、チベットに伝わって、まあ、特にミラレーパとかで有名なカギュー派に伝わってきてる教えですね。これは例えば、二ンマ派のゾクチェンとかとも似ていて、心の本性を直接的に悟ろうとするタイプの、まあ瞑想法だね。それは中国とか日本の禅とかとも似てるけども、マハームドラーはマハームドラーの、非常に特徴的なね、道があります。ただまあ、この今回用意したテキストは二部構成になっていて、第一部では、まずはマハームドラーというよりは、基本的なね、一般的な瞑想法の、つまり仏教的な瞑想法の基本の説明から入っています。で、そのあとで、まあ二部からマハームドラーの独特の瞑想の説明に入るわけですが。非常に長いので、まあもちろん今回は一部も終わらない、一部のさわりのところになりますが、これはこれでね、非常に有意義になると思います。つまり瞑想に入る際のさまざまな基本的な知識を学べると思います。
【本文】
第一章 一般的な寂静(シャマタ)と正観(ヴィパシャナー)の瞑想
このセクションは、七つのパートで構成される。
1.寂静と正観の因
2.寂静と正観の障害の除去
3.寂静と正観の真の性質の識別
4.寂静と正観の区別
5.寂静と正観のステージ
6.寂静と正観の合一の瞑想
7.寂静と正観の果報
はい。まだ目次のところですけども、ここでね、出てくる寂静(シャマタ)、そして正観(ヴィパシャナー)ってありますね。これが、まあ仏教的なというかな、本格的な瞑想の二つのプロセスね。寂静と正観。
で、このヴィパシャナーっていう言葉は、皆さんよく聞いたことあるかもしれないね。実際これはよくヴィパッサナーって言葉の方が聞いたことあるかもしれないけど。ヴィパッサナーっていうのはパーリ語です。パーリ語ね。パーリ語っていうのは、そうですね、今、原始仏典がパーリ語で残されてるんで、原始仏教の教えとかはよくパーリ語で表わすんですね。で、サンスクリットだとヴィパシャナー。ね。
ちょっと話がずれるけど、パーリ語とサンスクリット――まあ、もともとインドってものすごくたくさん言葉があって(笑)。ただ、だいたい似てるんですね。ベンガル語とかも似てるし。パーリ語とサンスクリット語も似てます。ただ全体的にいうとね、サンスクリットの方が、ちょっとかっこいいっていうか(笑)。パーリ語の方がちょっと田舎っぽい発音だったりするんだね。例えばパーリ語でヴィパッサナー、サンスクリットだとヴィパシャナーとかね。例えばパーリ語だとダンマ、サンスクリットだとダルマになったりとか。ちょっと違うんだけどね。ちょっとかっこいいっていうかな、洒落た感じの発音になるんですね、サンスクリットの場合はね。
はい。で、これはいろいろ書いてるけども、例えば「菩薩の道」とかでも書いてますが、今流行って本とかたくさん出てるヴィパッサナー瞑想っていうのは、あれはほんとはヴィパッサナーじゃないものが多いです。あれの多くは正確にいうと、サティとかスムリティっていうやつなんだね。これもちょっと正確に言うとね、パーリ語でサティ。サンスクリットでスムリティね。つまり直訳すると「念」です。念。サティとかスムリティっていうのは、まず瞑想の前段階として――これはね、今日の勉強でも出てきますが、自分の心をしっかりと観察して、で、一つの例えば、仏陀への思いであるとか、あるいは四念処とかね、いろんな念をね、繰り返し繰り返し自分の心に当てはめていくっていうかな、そういう作業ですね。もしくは自分の体や心の働きを二十四時間集中して見つめ続けたりとか。それがまあ念とか、サティ、スムリティっていうんですね。で、まあ、こういうのをよくヴィパッサナーって言ってる人たちも多いんですけど、ほんとのヴィパッサナーはそうじゃない。それはあくまでも念の段階であって。で、まずは今言った念とか、ほかのいろんなものを利用して、まずわれわれは寂静の境地に入んなきゃいけないんだね。
これはいつも言うように、比喩で言うと、湖が透明で澄み渡った状態ね。しかも光の強い状態です。これは、何度も言うけど、『菩薩の道』という作品が非常にいい――わたしが書いてるやつですが(笑)――非常にいい内容なんで読んでほしいと思いますが。われわれの心っていうのは非常に汚れていて、かつ、なんていうかな、揺れている、そして暗い湖みたいな状態なんだね。こんな状態ではヴィパッサナーはできないんです。ヴィパッサナーっていうのは、はっきり言うと心の観察だから。こんな状態で心を観察しようとしても、ただ波立ってて、で、砂がバーッて舞っていて、で、暗いと。だから前段階として心を静めなきゃいけない。波を静め、そしてグジャーッてなっているその砂をね、海底に沈めなきゃいけない。そしてもしそこに何か、例えばゴミとか浮いてるんだったら、それを掃除しなきゃいけない。そしてもう一つ重要なのが、暗いんだったら、つまり暗かったら見えないから、光を強めなきゃいけない。そのようないろんな要素を駆使して、透明で澄み渡って静かで、そして光が強い湖みたいな心の状態をまず作りだすんですね。で、これによって入る瞑想が寂静の瞑想、シャマタといいます。で、その寂静の境地に至った自分の心を観察する、これがヴィパッサナー、あるいはヴィパシャナーなんだね。正観っていうやつですね。ですから、いきなりヴィパシャナーができるっていうことはありえない。しっかりとまずは自分の心の浄化に励まないと無理なんだね。
はい。で、一体どうやってまずその寂静の境地に入るのか、あるいは正観、ヴィパシャナーを成功させるのかっていうのがね、まずは一般的な瞑想のシステムの説明になります。
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