解説「菩薩の生き方」第十七回(1)

2016年10月19日
解説「菩薩の生き方」第十七回
はい。じゃあ今日はナーガールジュナの「菩薩の誓願 二十の詩」の途中の、「いつでもすべての女性が」っていうところからですね。
一般的にはナーガールジュナっていうのは、前にも言ったように、龍樹といわれますが、空の教え、つまり中観といわれる空の哲学的教えで有名な人なんだね。しかし実際にはそれだけではなくて、まあカイラスの本でも出てるように、『ラトナーヴァリー』をはじめとして、あるいは『真理の手紙』っていう本ね、あれはナーガールジュナの『スフリッレーカ』の解説ですけども、それらを見ると、つまり単なる「一切は空である」だけではなくて、慈悲の教え、菩提心の教え等もいっぱい説いてると。
でもそれも、なんていうかな、一般的な慈悲とか菩薩道も説いてるんだけども、この『ラトナーヴァリー』の中の「菩薩の誓願 二十の詩」っていうのを見ると、のちの『入菩提行論』に広がっていくようなエッセンスがいっぱい入ってるんですね。その勉強ですね。
ただ、前にも言ったように、前に『ラトナーヴァリー』の勉強でいったん解説をしたような気がするので、軽くね、パーッと見ていく感じで見ていきますが。
はい、まず、
いつでもすべての女性が、優れた男子となりますように。
この辺は、現代でこういうこと言うと怒られますけどね(笑)。「女性差別だ」とか言われちゃいますけども、ただ、いつも言ってるようにインドっていうのは男尊女卑で――もちろん昔の日本もそうだけど――男尊女卑であり、ただそれは単純に社会的な意味だけじゃなくてね、お釈迦様をはじめとして――まあ男尊女卑っていうと言葉は悪いけども――つまり男尊女卑っていうのは、男を尊び、女性を卑しむと。じゃなくて、現実として男性の方が優れてる、という言い方を普通にするわけですね。
で、これは、時代的なものも実はあります。それは、なんというか、いろんな要素があるからね。ただ、つまりこれは一般論と、それから時代によって変わる部分が両方ある。あるいはそうだな、時代っていうよりはケースバイケースの部分もあります。
ただ、ベースとしていうと、一般論としていうと、やはり――これはつまり、なんていうかな、何をもって優劣かっていう話も出てくるけども、当然男性には男性の優れたところがあり、劣ったところがあると。で、女性には女性の優れたところがあり、劣ったところがあると。一般社会においてはね。
例えばさ、当たり前ですけども、力では一般的に女性は男性にかないませんよね。もしかなうんだったらオリンピックや格闘技で男女一緒にやればいいわけであって。当然そういうのはないよね。男女平等っていったって、そういうスポーツとかで男女ごっちゃで大会を開いたりはしない。つまり肉体的には明らかに男性の方が優れていると。逆に、例えば女性の細やかさや、あるいはまあ非常に気が付くところ、あるいは、そうだな、言葉ではまず女性にかなわないね(笑)。言葉でケンカしたら女性にかなわない(笑)。それだけじゃなくていろんな、男性の方が優れてる、女性の方が劣ってる、女性の方が優れてる、男性の方が劣ってる、いろいろあるわけだけど。
ただ、ここで言ってるのは、魂の進化っていう意味において、あるいは修行っていう意味においては、一般論でいうと女性の方が劣っていると。それはまあ、前にも言ったように、仏典でわざわざそういうことばっかり説いた経典まであるぐらいだからね。女性の煩悩の強さ、あるいは恨みの強さ、怒りの強さ、執着の強さ。
もちろん実際には、さっきケースバイケースって言ったのは、修行のやり方によってはいろいろ変わってきます。お釈迦様が説いたような修行、あるいはオーソドックスな修行においては圧倒的に男性の方が優れている。ただ、いつも言うように、バクティヨーガにおいては、女性も非常にいいものを持っていると。例えば、いつも言ってるけど、女性が、例えばもうほんとに一切を捨ててね、仕事も捨て、地位も名誉も捨て、友達も捨て、どうしようもない男に走ると。一生を賭けると。これ、すごいよね。でもこれを神に向けられたらもう一気に悟ります。女性はそういうような要素を持ってるんだけど、無智だから神には向けないと(笑)。ここが問題であってね(笑)。女性は無智が強いのでなかなかそっちにはいかないんだけど、でもそれを百パーセント神に向けられたら、その女性の要素っていうのは素晴らしいと。もちろん男性がバクティに向いてないわけじゃないよ。男性はどっちかっていうと武士道的な――まあ、これも人によるけどね、そういう要素があるから、それによってダーシャ・バクティ的な道には入りやすい。もちろん女性もそういう人もいるけどね。女性も武士的な要素があって、そういう女性的な捧げ方ではなくて、例えばグルや至高者をお守りいたします、みたいな感じでバクティに入れる人もいるけど。だから一般論だね、あくまでね。一般論でいうと女性の性質はバクティには向いてるといわれる。
だからこれはなんの修行が前面に出てくるかによっては全く違ってくるわけだけど。ただ繰り返すけど、一般的にいうと、魂の進化としてね、女性はカルマが一般的には悪い。
悪いっていうよりも、なんていうかな――まあ何度も、ちょっと慎重に言うしかないんだけど(笑)、実際には個々のケースで変わります、あくまでもね。
例えば、女性はカルマが悪いと。でもここにある女性がいると。この女性がカルマが悪いとは言えません。良いかもしれません。つまりある種のカルマ的な使命、もしくは理由があって女性に生まれてる場合がある。しかしそのような個々のケースはもちろん別なんだけど、一般的にいうならば、進化として、多くの女性の生を経験し、そして魂が進化して男性になるんだね。男性として偉大な修行者になっていくと。
しかし例えば現代の場合はまた違ってきます。例えば皆さんを見ればもちろんそうだよね。例えばカイラスは女性の方が多いから。ということは、すでに修行の道に入ってるっていうことは――だから修行してる女性はちょっと話が変わってくるよね。つまり女性が男性になって、男性が修行者になるっていうよりは、今修行してるっていうことはつまり、もともとは、一般的な意味ではその辺はもう超えていて、で、何か意味があって女性として生まれてるのかもしれない。
ただ、この辺の話っていうのはさ、もちろん一般的な、なんていうかな、女性差別だとか、平等にしなきゃとか、そんな話はもうどうでもいい話で。例えばこれを聞いた女性の皆さんは、もちろん謙虚にならなきゃいけないよ。これはもちろん、前も言ったけど、仏典のそういう話があるんだね。仏典で、ある偉大なっていうかな、とても優れたお釈迦様の在家の女性の弟子がいて。その人に、お釈迦様の高弟が教えを説くんだね。女性のさまざまなタイプについて教えを説いて。つまり、まずはほんとに駄目な――駄目なっていうか女性の悪いところをいっぱい持ってる女性。つまり陰険で恨み強く、執着心が強く、煩悩が強い。そして嘘つきで欺瞞に満ち、偽りに満ちてる。そのような女性。例えばね。で、もうちょっとましなタイプの女性のことも説く。で、最後に一番いい女性として――これは在家の話ですけど、自分のことは考えずにほんとに家族や夫に尽くし、あるいはもちろん仏陀や聖者に尽くし、そして、ただただみんなの幸せのためだけにこの人生を使ってるような素晴らしい女性もいると。いろんな女性のパターンを挙げて、「君はどのタイプか?」って聞くんだね。そしたらその女性は、自分は最も低いタイプだって言うんですね。「わたしはこのようなタイプです」と。「そのように思ってください」と言って、それを受け入れるんだね。
もちろんその女性は実際には優れた在家信者だったんだけど、女性がもともとカルマとして持ってる、そのような悪いとされる部分を認め、謙虚に受け入れ、「わたしはそのような悪いところを持ってますから、ですからしっかりと、そういった悪い部分と向き合い、戦い、しっかり浄化していく所存です」と。こういう発想がいいね。
つまり、肉体のカルマ、あるいは性のカルマっていうか、それによって、確かにそういうものはあると。実際にね。だから実際には魂のステージとしてどうなのかは別にして、今生わたしは女性であると。で、お釈迦様とか多くの聖者が、女性のいろんな悪い部分を説いてると。それをもう受け入れて、そうだと。だからわたしは人一倍――さっきいろんな悪いことを言ったけども(笑)――人一倍、人を恨まないようにしようと。人一倍、自分の中の邪悪さ、陰険さを徹底的に取り除こうと。あるいは人一倍、何にもとらわれない人になっていこうと。もしこういう感じで発願することができたら、女性として生まれた生を、逆に生かすことができるね。
はい。それから社会的にも実際には、現代においては違ってくる。つまり昔っていうのはさ、お釈迦様も含めた昔のインドとかは、社会的に徹底的な男尊女卑なんだね。もうつまり女性の地位というか、なんていうかな、権利さえまあ非常に薄いと。社会がそうなってると。つまり例えば、何か教えを学ぶことも女性はできなかったんだね。あるいは学問も学べないと。あるいはいろんな地位につくこともできないと。だから実際に社会的な意味で女性は、まあ、つまり学問的には無智だったし、いろんなことをできる自由があまりなかったと。そして、当然現世的な意味でもあまり多くの成功は望めないと。だからあくまでもカルマ的にいって、社会的な意味でも当然、女性はカルマが悪かったんだね。女性はっていうか、女性に生まれるっていう状況自体がね。でも現代ではその部分はちょっと違ってきてるよね。現代では女性の地位が向上し、女性専用車両もあるし(笑)。男性専用はないのに女性専用がある(笑)。で、逆に女性がどうとか言うと怒られる時代になってきたと。これはつまり、女性の社会的カルマが上がってると。あるいはいろんな場面場面において、現実的に活躍する女性がたくさん出てきていると。だから社会的な意味ではちょっと昔とはカルマが違ってきてると。
はい。そしてまあ、修行っていう意味でも、繰り返すけど――カイラスで女性が多いのを見ても分かるように、女性だからカルマが悪くて修行できないとか、そういう時代じゃなくなってきてる。昔はだから――繰り返すけどさ、圧倒的に、修行者っていうのは男性だったんだね。で、お釈迦様も、皆さん聞いたことあると思うけど、最初は女性の出家を禁止してたんですね。で、途中からそれを受け入れて。受け入れたといってもやはり、数でいったら圧倒的に少ないと。そののちのインド仏教、あるいはチベット仏教とかでももちろん尼僧、尼さんはいるけども、圧倒的にその数は少ないと。だから圧倒的にそういう、修行といえば男性、みたいな時代があってね。でも現代ではそうでなくなってきてるから、この辺はちょっと違うんですけど。だからそういう表面的なことをいってしまうといろいろそういう相違は出てくるけど。
ただここでナーガールジュナが言ってるのは、さっきから言ってる根本的な問題ね。実際にはいろいろなパターンがあるけれども、一般的に経典等で説かれる魂の進化としては、まずいろんな性格的欠点を持った女性として転生し、で、次の段階で、まあ一般論としてね、より修行がしやすい、あるいは社会的にもメリットを得やすい男性としての転生が始まるんだと。よって、「みんなが早く男性になりますように」と言ってるにすぎないね。だからその辺はまあ、そういう感じで軽くとらえたらいいね。
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