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2008年クリシュナ生誕祭勉強会より抜粋(1)

◎青年期のクリシュナ

 青年期の物語としては、今度はこれはこういう絵で有名なゴーピー達。ゴーピーっていうのは牛飼いの女ですね。まあ簡単にいうと、青年期クリシュナは女性達にもてもてになるんだね(笑)。その物語がすごく有名な叙事詩とかで語られてる。で、これが、バクティ・ヨーガの一つの理想とされてるんだね。

 つまり単純にクリシュナがもててるって話ではなくて――まあこの辺の話っていうのは、ものすごく口で説明するのは難しいんだけど、その女性達がクリシュナに向ける純粋な愛みたいなのがあって、これを昇華させた形で神への純粋な愛を培わなきゃいけない。これはいろんな深い意味が隠されてるんだけど。

 例えばそこで出てくるクリシュナを愛する女性って、全員人妻なんです。つまり、クリシュナに出会う前は一般的なそういう愛情であるとか、恋愛であるとか、愛着であるとか持っていたんだね。でもそのすべてを捨ててクリシュナに集中するんです。

 すべてを捨ててクリシュナに集中して――まさに今日も歌った「クリシュナ ゴーパーラ あなただけ」みたいな――まああの歌はまさにこのバクティ・ヨーガの、特にこの――バクティ・ヨーガっていろんな形があるんだけど、神を自分の親のように想うとか、子供のように想うとか、あるいは自分は神の僕であると想うとかあるんだけど、そのうちの一つが「神を恋人と想う」っていう方法があるんだね。で、その最も純化された状態。この理想を歌ってるのがこの「クリシュナ ゴーパーラ あなただけ」ですね。

◎完全な放棄

 つまりこれは、完全な放棄っていうのがもう完全に前提にあるんだね。つまり、「自分のものすべてを放棄してあなたにすべてを捧げます」と。

 だからこれは、一般の恋愛でも、もちろんそれは純粋な愛ではないんだが、ものすごい愛に狂った場合ね、当然そういうのってあるよね。もう世間体もお金もすべて投げうって、その愛する人に尽くすっていうパターンってあると思うんだね。それはただその相手が煩悩的なただの人間だった場合、それは「ああ、本当に愛に狂ってますね」って感じになるわけだけど、その同じような愛に狂う感じをクリシュナに向けるんだね。つまり純粋な至高者に向ける。これが一つのバクティの形だね。

 で、それを示したのがこのクリシュナの青年期。クリシュナがその魅力で多くの女性達を自分に引きつけて――まあその一番中心人物となるのはラーダーっていう女性が現われるんだけど、ラーダーだけじゃなくて多くの女性が純粋な愛をクリシュナに育てていって。

 ――ラーダーの物語もね、実はラーダーのことを書いた経典があって、それを取り寄せて、最初Tさんが読んだ。そしたらTさんがすごい感動して、涙を流して、もうすごい心の変革があった。で、わたしも「そんなにすごいならみんなにも読ませようかな」と思って読んだら、「これは読ませられない」と(笑)。つまり相当な縁があって、あるいはある程度バクティを理解してないと、ただの恋愛物語、いや恋愛物語でさえない。かなりドロドロした(笑)、本当に男と女の物語みたいな感じになっちゃってるんだね。表面だけ読むと何かそんな感じなんです。でも実は非常に深い意味が隠されてる。そこでのいろんなラーダーの葛藤であるとか、心のいろんな障害を乗り越えてクリシュナに目を向けるところとかね。いろいろまあ深い意味があるんだね(笑)。

 だからわたし、逆にラーマクリシュナはやっぱり偉大だなと思った。ラーマクリシュナってラーダーの話を絶賛するんです。ラーダーとクリシュナの物語を絶賛するんだけど――つまり普通に読んだらただの恋愛物語なんだけど、ラーマクリシュナはその真の意味をやっぱり分かってるんだね。分かってるからみんなにそれを絶賛して薦めるんだけど、でも多分分かってない人が読んだら、ちょっとただの恋愛物語になってしまう。

◎バクティこそ最高

 で、その青年期のそういうのがあって、で、この青年期もどうやって最後かたをつけるかっていうと、多くの女性がクリシュナにその愛を向けるんだけど、でもクリシュナは全員の相手をすることはできないんで、最終的に――一万六千人の女性がいたらしいんだけどね――一万六千人の分身を作ってみんなと結婚したっていう(笑)、これも何かスケールが大きい話なんだけど(笑)。

 でもこれもよーく考えると、非常に深い意味があるんだね。この辺の話っていうのはなかなか一言ではいえないところもあるし、中途半端に話すとみんな誤解をしてしまうところもあるので、非常に難しい話なんだけどね。

 例えばこの女性とクリシュナの話で示される一つのポイントとしては、やっぱり嫉妬心ってあると思うんだね。人間ってだれでもみんな嫉妬心を持ってる。特に恋愛になると、嫉妬心ってすごいよね? で、恋愛だけじゃなくて修行においても嫉妬ってあるし、あるいはいろんな社会的な中でも人と自分を比べて云々っていうのがあるわけだね。でもそうじゃない、本当に、例えばクリシュナに他にも愛人がいたとしても、全くそんなのは関係ない、自分とクリシュナだけの純粋な世界っていうか、それが出来上がった時が一つのバクティの達成なわけだけど。

 つまりもともとは本当にそうなんです。もともとはこの世にわたしとクリシュナしかいない。しかし、自分のけがれたさまざまな煩悩であるとかカルマによって、他の対象が見えてしまうんだね。対象っていうか他の存在が見えて、さまざまな良くない想いがその外側に向かってしまう。

 で、この最終的にクリシュナが一万六千人の分身を作って、一万六千人の女性と結婚したっていうのも、それもまあある意味でいったら、クリシュナの奇跡ともいえるけども、逆にその女性達の一つの達成を表わしてるといってもいいのかもしれない。つまりそれぞれがバクティのある意味悟りを得た表現としてね、それによってそれぞれ自分だけのクリシュナが現われた。

 ちなみにクリシュナのもとに集まった女性達は――これは一説だけどね――前生で偉大なヨーギーであって、最終段階として、この女性として現われたともいわれてる。だから面白い話だよね。前生ヒマラヤとかでガーッてすごい修行してて、もう達成間近、ほとんど解脱寸前っていうところで、パーッてかわいい女の子に生まれて(笑)、「クリシュナ様ー!」ってなって(笑)、最終的に解脱したっていう(笑)。

(一同笑)

 非常に面白いね。つまりこの考えっていうのは、「バクティこそ最高」っていう考えなんだね。つまりさまざまな苦行やいろんなものを乗り越えて、やっと神への純愛に目覚めるっていう話なんだね。

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