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10のサマンタバドラの行

 大乗仏教の修行法の一つに、「サマンタバドラの行」というものがある。

 これはチベットなどでおこなわれる「七支の供養」的なヴァージョンが有名だが、実際には経典や流派によって様々な細かい違いがある。

 ここでは私なりに、サマンタバドラの行を、実践的なかたちで10の項目にまとめてみました。

1.礼拝

 実際に五体投地などで礼拝行をおこなう。
 また、自宅に祭壇などを作り、日々、礼拝をする。
 常に心に神やブッダを思う。

2.賛嘆

 神、ブッダ、聖者、師などのすばらしさを日々心に思い、賛嘆する。
 実際にそのすばらしさを口に出したり、歌ったりする。
 何があっても、神、ブッダ、聖者、師のすばらしさ、完璧さを思い、感謝する。

3.供養

 師や聖者に実際にお金や物品や食物などを供養する。
 あるいは、イメージの中で、素晴らしいものを師や聖者や神やブッダに供養する。
 あるいは、自分が執着しているものを、イメージの中で供養する。
 また、日々、様々な経験を、心の中で供養する。

4.教え通り生きること

 まず日々しっかりと聖典を学び、その教え通りに生きる。
 日々自分の心のチェック(念正智)をし、教え通りに生きる。

5.懺悔
 
 これは4とも絡んでくるが、教えから外れた心・言葉・身の行いがあれば、すぐに懺悔する。
 最低一日一回は、一日の心・言葉・身の行いを振り返り、懺悔する。
 また、生まれてから今までになした悪業を振り返り、懺悔する。

6.随喜

 これは4や5とも絡んでくるが、自分の心・言葉・身の行いを振り返り、悪に対しては懺悔をするわけだが、善の行為に関しては、心から喜ぶ。もう、大げさなくらいに喜ぶのである。
 また、何か自分が善や修行の実践をする前に、そのようなことができる功徳に感謝し、心から喜ぶ。
 そしてそのような善や修行を実践している最中に、喜びながらおこなう。
 そしてそれらが終わった後、「ああ、素晴らしかった」と、大いに喜ぶ。
 そして日々、自己の小さな進歩を見つけては、心から喜ぶのである。

7.教えの請願

 これは、真理の教えというものに対して、強い欲求を持ち続けることである。
 しかしこれは欲求するだけでは駄目で、今与えられた教えや修行や実践項目を、できるだけ完璧に達成しようと努力するべきである。そして今やるべきことを達成することによって、もっともっと高い教えがほしい、深遠な教えが欲しいと、心から欲求し続けるのである。

8.見神および化身の請願

 これにはいくつかのパターンがある。

 まず共通してなさなければいけないのは、ラーマクリシュナがそうだったように、神やブッダを見神したい、つまり直接お会いしたい、どうか私の前に現れてください!――という強い欲求と祈りを持ち続けることである。

 次に、まだ修行上の師といえる存在に出会っていない人は、ブッダや至高者の化身が、自分の師としてどうか現れてください!――と、日夜請願し続けるのである。

 そして、修行上の師がいる人は、その師のことをブッダや神の化身と考え、その師がこの世を去らないように、できるだけ長くこの世にとどまってくださいと、日夜請願し続けるのである。

 また、師ではないけれども尊敬する聖者がいる人も、同様に、その聖者たちができるだけ長くこの世にとどまってくださいと請願する。

9.平等なる慈悲

 すべての衆生に、平等なる慈愛や哀れみの心を持ち続ける。
 平等というのは、表面的な平等ではない。すべての人を最愛の存在と考え、その真の幸福を願い続けるのである。その場合、それらの衆生は一人一人、カルマも違えば、自分との関係も違うので、実際に自分が彼らに対して向ける心の働きや実際の行動は、それぞれ違ってくる。しかしベースの心としては、平等なる慈愛と哀れみを向けるのである。
 言い換えればこれは、損得勘定があっては駄目だということである。自分とどんな関係にある人に対しても、あるいは自分の習性から見て好ましく見える人にも不快に見える人にも、平等なる慈愛と哀れみの心を向けるのである。

10.回向

 これらの日々の実践によって積まれた功徳、エネルギーが、自分と衆生の完全なる悟りのためにすべて向かいますようにと、日々、回向するのである。

☆総論

 さて、これらの教えを、忘れずに具体的に実践するために、以下のことを提案したい。

1.家に祭壇を作り、毎朝起きたら必ず、水・お香・灯明などを捧げる。

2.ときどきは、師や聖者に対して、実際にお金や物品や食物などの布施をおこなう。

3.毎日時間を決めて、五体投地をおこなう。

4.神やブッダへの賛歌などを知っている人は、一日一回はそれらを歌う。

5.食事をする前に、必ず、その食物を師や神やブッダに供養する瞑想をする。
 食事中も、自分が食べているのではなく、師や神やブッダに捧げていると観想しながら食事する。

6.毎日時間を決めて、聖典教学をおこなう。師がいる人は、ときどき師のもとへ行き、教えを聞く。

7.日々、自分の心と言葉と行為をチェックし、教えとずれないように注意する。
 同時に、そのときの心の調子に応じて、師や神やブッダを賛嘆したり、教えへの欲求を持ったり、見身や化身の請願の心を持ったり、その他、「サマンタバドラの行」に随順する思いを持つ。

 つまり、そのときのフィーリングに応じて、

・教えからずれていないかの念正智
・すべての衆生への平等なる四無量心からずれていないかの念正智
・師や神やブッダの賛嘆
・師や神やブッダを頭頂や心臓に観想する
・素晴らしいものや、執着の対象を心で供養する
・教えへの強い欲求を持つ
・神やブッダと実際に相まみえたいと強く願う
・師や聖者がこの世に長くおとどまりになるようにと強く願う

 これらのいずれかの心を持ちながら、日々の様々な活動をおこなうのである。
 少なくとも、くだらない雑念や煩悩的思いや攻撃的思いを持たないようにする。あるいはぼーっとしないようにする。

 そして、日々、もし悪しき思い・言葉・行為をなしてしまったことに気づいたら、すぐさま心の中で懺悔をおこなう。

 逆に、善き思い・言葉・行為をなしたことに気づいたら、すぐさま心の中で随喜をおこなう。
 あるいは自分の進歩を感じたときも、同様に随喜をおこなう。

8.毎日夜寝る前に、今日一日を振り返り、悪業に関しては懺悔をおこなう。
 逆に善業や進歩に関しては随喜をおこなう。

 ときどきは、師や聖者に直接、あるいはメールなどで懺悔をおこなう。

9.毎日夜寝る前に、今日一日の善や修行の功徳が、自分と衆生の完全なる悟りに振り向けられますようにと、祈りを捧げる。

10.・・・といっても忘れるだろうから、この文章を毎日一回は読む(笑)。

 これらの実践をまじめに続けるならば、あなたの菩薩行は実質的に、速やかに進んでいくでしょう。

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