(9)「真髄へのアプローチ」③
心地よい座に、足を組んで座ってください。
神秘的な明智と完全なる絶対なる叡智を得るために、帰依の心を堅固に持ち、菩提心を奮い立たせましょう。
それから、ハム字を観想します。
そのハム字から光線が、東西南北とその中間、そして上と下という10の方向に広がり、
その光の先端に、10の憤怒尊が乗っています。
憤怒尊の体からは炎が燃え上がっています。
そして次に、サマンタバドラの素晴らしい曼荼羅を観想します。
その宮殿は、四つの扉、四つの角、四つの斜面、
五つの重ねられた壁、台座、
かわら、格子造り、手すり、柵、
宝石の花と軒があります。
そして八つの火葬場があり、
蓮華によって作られた王座に、太陽と月のクッションがあり、
ライオン、象、馬、孔雀などによって支えられています。
そして五人の如来が妃とともに座をとり、
また八人のパウォ、八人のパモ、八人の守護神、
その他さまざまな神々や女神たちが座をとっています。
彼らの身体からは、十方に広がる無限の光線が発されています。
それから、曼荼羅の主尊の心臓に、小さな輝く光の玉を観想し、
その中に、サマンタバドラを観想すべきです。
サマンタバドラは妃を抱擁し、
身体は澄んだ深い青空のような色で、蓮華座を組んでいます。
そして、すべての世界と、その世界の衆生を浄化する光線を発しています。
この曼荼羅に存在するすべてのものは、完全に透明で純粋です。
そしてそこでは、
オーム・アー・フームのマントラと、
五人の如来のマントラが、鳴り響いています。
このようにして、真実のリアリティの世界を生成してください。
あなたの心はもともと、今も、そしてこれからもずっと神聖であり、
あなたの身体は曼荼羅であり、言葉はマントラです。
すべてはあるがままに完璧である、純粋なる意識なのです。
――それは、行くことも来ることもないので、
どこから来てどこへ行くのかと、尋ねる必要はありません。
――そこには善も悪もありませんし、受容も拒絶もありません。
まさに始まりから、すべてが神聖な曼荼羅であったことを知ってください。
存在しなかった光り輝く曼荼羅を創造するのではなく、
もともと存在していたこの神聖な曼荼羅に、生成の瞑想を通じて気づくのです。
その後、もし何か煩悩が生起してきたならば、意識を通常の状態に若干戻し、
その煩悩への対抗策を行なってください。
そしてもし煩悩が浮かんでこなくなったならば、
水に映る月のような幻影に引きずられて苦しんでいる衆生の幸福を願う、
慈悲の心に専念してください。
すべては幻影であり、
すべての現象は神のあらわれであり、
すべての音はマントラであり、
すべての思考や意志は純粋意識であるということを、
心を静めて、絶えず考えてください。
身口意において、純粋な献身を保ってください。
何をおいても、純粋さの中で、心を保ってください。
新月の日と、
新月を一日目と数えた八日目(ターラーとマハーカーラの日)、
十日目(グル・リンポチェの日)、
十五日目(満月)、
二五日目(ダーキニーの日)、
二九日目(すべての護法尊の日)、
これらの日には、
信仰と礼拝の儀式を行なうべきです。
そうしてあなたは、管・風・心滴の修行の道において
真髄に到達するよう努力するべきです。
そして、歓喜、光輝、非概念の三つを
統合させる道に励むことによって、
あなたは真理の王となり、今生で完全なブッダとなるでしょう。
シュリー・ヘールカの真理の城と隣り合う、この輪廻という架空の世界において
カルマの行為に縛られ、感覚の満足を追い求め、
疲弊しきった衆生の心が、
これらの無上の秘儀によって、心の本性に向かって突き進み、
今日こそ、安らぎと幸福を見つけられますように。
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