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随筆マハーバーラタ(8)「カルナ」

 一応は悪役として登場してきますが、カルナという人物は、私は結構好きですね。
 神の子なのに、悲しい運命を背負わされ、
 悲しいほど気前が良く、プライドが高く、男らしく、恩義に篤い、まっすぐな人物。
 マハーバーラタの中で、一番リアリティのある人間臭さを感じる人物でもありますね。

 カルナという名前の語源は知りませんが、もともと「カルナー」とは「悲しみ」という意味で、転じて仏教やヨーガでは、苦しむ衆生を救いたいという哀れみの心も、「カルナー」といいます。慈悲の悲ですね。

 彼は太陽神の息子ですが、占星術における太陽の象徴、これはインド占星術でも西洋占星術でもだいたい同じですが、大まかに良い象徴と悪い象徴をあげてみましょう。

☆良い象徴:誇り、エネルギー源、威厳、高潔、カリスマ性、リーダー、目的を達成する力、名誉、権力、生命力、強靭な肉体、徳の高さ、公明正大、気前の良さ、正義。

☆悪い象徴:エゴ、自己アピール、プライド、高慢、ワンマン、頑固、卑屈。

 カルナを見ていると、まさに上記にあげた象徴がぴったりの人物ですね。さすが太陽神の息子です(笑)。
 私も獅子座生まれで、太陽のTスクエア(グランドクロス)もあり、太陽の影響が強いので、カルナになんとなく共感を持つのかもしれません(笑)。
 
 
 悲しいカルナの人生を振り返ってみましょう。

 若きクンティーの気まぐれによって、太陽神の子・カルナは生まれてきます。困ったクンティーは、カルナを箱に入れて、河に流してしまいます。もうスタートから、悲しい人生の始まりですね(笑)。

 河に流されたカルナは、身分の低い御者の夫婦が拾い、彼らの子供として育てられます。本来ならばパーンドゥ王家の長男となるはずだったわけですが・・・。しかしよく考えてみると、もしこの時点でクンティーがカルナを自分の子供として受け入れていたら、後にパーンドゥ王が、子持ちのクンティーを自分の妻としたかどうかはわかりませんね。そういう意味では、カルナが犠牲になったおかげで、クンティーやユディシュティラたちは王族となったといういうこともできますね。

 御者の息子として育てられても、もともと太陽神の息子であるカルナは、とても神々しく、非常に強い青年として育ちます。そしてついに、王宮の武芸披露の場において、カルナは人々の前に登場し、宿命のライヴァルであり実は弟であるアルジュナと、運命の出会いを果たすわけです。

 初登場時からずっと、カルナの言動は、どこかひねくれていて、辛らつです。これは彼のプライドの高さの裏返しでしょう。もしカルナがパーンドゥ兄弟の長男として、皆に祝福されつつ生まれていたとしたら、彼はもっと優しく、言葉も優しく、穏やかな人物になっていたと思います。しかし御者の息子として育てられ、自分の出生の秘密は知らずとも内側から沸き起こる誇り、エネルギー、自信などに掻き立てられ、しかし誰にも認めてもらえない現状とのギャップによって、心の卑屈さ、辛らつさなどの悪い面が現われているように見えます。

 そんなカルナを、ドゥルヨーダナは、自分の味方として受け入れ、領主として任命しました。ドゥルヨーダナがカルナを受け入れたのは、パーンドゥ兄弟に対する対抗心からでしたが、そんなことは関係がありません。どのような理由であれ、自分を認めてくれ、受け入れてくれたドゥルヨーダナに、カルナはこの後、生涯、命を懸けて、忠誠を尽くすのです。どんなにドゥルヨーダナが悪の道に走っても、彼は忠実にその部下として働き続けるのです。
 この辺は昔の日本の武士にも通じる心意気だと思いますね。私はこういう人は好きです。
 
 また、カルナがドゥルヨーダナによって領主として任命され、念願の出世を果たしたそのとき、彼の育ての父である年老いた御者が、その場に入ってきました。
 もし本当に心のねじくれた者なら、ここでこの父を無視したでしょう。今、やっと領主という地位を得、また自分の武芸を皆に見せてプライドを満たそうとしているときに、自分が身分の低い御者の息子だなどとは皆に知られたくないはずだからです。
 しかしカルナは全くそんなふうには思わず、自分を育ててくれた父に、皆の前で尊敬を示します。父は息子の出世を喜んで涙します。この辺も、カルナの公明正大さ、素直さ、純粋さの現われだと思います。
 
 そんなカルナを、ビーマが馬鹿にします(笑)。

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 この光景を見たビーマは、大声で笑い出して言いました。
「この男は、御者のこせがれに過ぎないというわけか! それなら、自らの家柄にふさわしく、馬車のむちを持っているが良い。お前など、アルジュナの手にかかって死ぬなどおこがましい。ましてや領主としてアンガ国を治めるなど、とんでもないことだ。」

 この暴言にカルナの唇はわなわなと震えましたが、ぐっとこらえ、沈み行く夕日を見ながら、深いため息をつきました。

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 なんとも悲しい光景ですね。ビーマに馬鹿にされ悔しく、しかし自分を育ててくれた愛する父を否定することもできず、ぐっと怒りをこらえて、夕日を見ながら深いため息をつくカルナ。

 ビーマも神の子で、クリシュナの化身でもあるともいわれますが、「随筆マハーバーラタ(5)」でも書いたように、ビーマはあちこちで暴言を吐いたり暴れたりして、トラブルメーカーになっています(笑)。しかしそれは神の意思によるつじつまあわせ、きっかけづくりのために、このようなトラブルメーカーの役割をになっていると考えることもできます。このときもビーマに馬鹿にされたことで、カルナの負けん気や、パーンドゥ兄弟に対する敵愾心は、以前以上に燃え上がったことでしょう。それがこのマハーバーラタ物語という「神の意思」を実現するために不可欠な要素だったのかもしれません。

 アルジュナはインドラ神の息子です。カルナとアルジュナの宿命の対決が避けられないと知ったインドラ神は、息子であるアルジュナに味方するために、カルナが生まれながらに身につけていたという神の鎧と耳輪を奪おうと考えました。アルジュナに匹敵するほどの強さを誇るカルナの強さの秘密は、その鎧と耳輪にあったからです。
 インドラ神は、人間の僧に化け、「その鎧と耳輪をください」とカルナに言いました。なんともストレートな方法ですね。おそらくインドラ神も、こんなストレートな方法で、カルナの鎧と耳輪を奪えるとは思ってはいなかったでしょう。
 しかしカルナはあっさりとそれを差し出してしまい、インドラ神のほうが驚き、またすばらしいカルナの気前のよさに、喜び、称賛します。
 カルナは本当に、驚くほど気前が良かったのです。人に何かを求められたら、差し出さずにはおられなかったのです。カルナも、その鎧と耳輪が、自分にとってどれだけ大切かわかっていたでしょうが、それでも、人に何かを求められたら、それがどんな大事なものであれ、差し出さずにはおられないのです。それがカルナなのです(笑)。
 このタイプの人物は、積極的に誰にでも優しくするというわけではありませんが、もし求められたり頼られたりすると、それが誰であっても、自分の全精力を傾けてそれに応えます。たとえそれが自分の不利になるようなことであってもです。これは一種の高いプライドと同居した慈悲心のようなものですね。 

 
 そして初登場時こそアルジュナに匹敵するほどの強さを示したカルナでしたが、その後は少しパーンドゥ兄弟より劣る感じで描かれます。それはこのとき、鎧と耳輪をインドラ神に渡してしまったからでしょう。しかしカルナはそれを悔いたり、言い訳の材料にしたりはしません。それがカルナなのです(笑)。
 この後、気前良くインドラ神に大事な鎧と耳輪を差し出したカルナに、何かその良い報いが返ってくるわけではありません。最後までカルナは悪役として、しかもたいした活躍もできず、最後はアルジュナに殺されてしまいます。しかしそれでいいのです。報いを求めて気前良くしているわけではないのですから。もちろんカルナは死後、天上で、その気前の良さの徳の報いを、大いに受けていることでしょう。

 さて、カルナはこの後、アルジュナに匹敵する力を手に入れるために、いろいろやりますが、しかしやることなすこと裏目に出て、結局、多くの呪いをその身にうけることになってしまいます。これもまた悲しいところですね。とても不器用で人間臭い、愛すべき人物です。

 その後カルナは、最大の悪役であるドゥルヨーダナを横から煽って、パーンドゥ兄弟との戦いを願い続けます。一連の物語でのカルナの言動は、ひどいものです。しかしそれも、彼の悲しい運命ということもできます。最初にも書いたように、彼がもし正当にパーンドゥ兄弟の長兄として最初から受け入れられていたら、彼の気の強さは、もっと良い方向に向かっていたでしょうから。
 とはいえカルナは、ドゥルヨーダナの提案する姑息な作戦に対してはせせら笑って反対し、ひたすら正面きっての戦争を望みます。そして自分がいればパーンドゥ兄弟など恐るるに足らないという、「根拠の無い自信」をひたすら表明します(笑)。
 
 
 そしていよいよパーンドゥ族とクル族の戦いが避けられないとなったとき、カルナの母でありパーンドゥ兄弟の母であるクンティーは、息子たちを守るために、ついにカルナに出生の秘密を明かし、ドゥルヨーダナに味方するのをやめて、パーンドゥ軍に来てくれるようにと頼みます。
 自分の出生の秘密を知った瞬間、カルナの中に、実の母親であるクンティーに対する、強い愛情がわきあがってきました。
 また、この戦いは、誰が見ても、パーンドゥ軍の勝利と栄光は眼に見えていて、クル軍には破滅が待ち構えていました。カルナも内心は、それに気づいていたでしょう。しかしここでクンティーの言葉を受け入れ、パーンドゥ軍についたならば、カルナはパーンドゥ兄弟の長兄として皆から尊敬され、大いなる勝利と栄光を手に入れることが約束されているのです。
 もともと功名心の高いカルナの心は、非常にぐらつきました。目の前には成功と栄光がぶら下がっています。そして実の母親であると知ったクンティーへの愛情、そして弟たちであると知ったパーンドゥ兄弟への愛情も、強く沸き起こったことでしょう。
 ここでカルナがパーンドゥ軍に寝返ったとしても、おそらく誰もそれを責めなかったでしょう。クンティーの実の子なのですから。逆に、今までのカルナの運命を哀れんでくれたかもしれません。
 
 しかしカルナは、成功よりも、栄光よりも、肉親への愛情よりも、「義務」「恩義」をとったのです。

「母上様、あなたがおっしゃることは、ダルマではございません。もし私が義務の道からそれたならば、私は戦場で受けるいかなる重傷よりも、私自身を傷つけることになりましょう。
 今私がパーンドゥ側に走ったら、臆病風に吹かれたのだと、世間の人々に笑われることでしょう。すでに私はクル族の食客となり、家中第一の勇士としてことごとく信用され、数え切れぬ恩恵と親切を受けてまいりました。それなのに今になってあなたは私に、恩義ある人に背いてパーンドゥ側につけとおっしゃる。
 ドゥルヨーダナたちは私のことを、今回の戦争という大洪水を乗り切るための箱舟として、大変信用してくれています。それに私自身が彼らにけしかけたのですよ、戦争をしろと。今になって彼らを見捨てられますか? それでは卑劣な裏切り者、見下げた忘恩の徒ということになりませんか? 
 お母さん、私はドゥルヨーダナたちに借りを返さなければならないのです。ですから私はあなたの息子たちと、全力を挙げて戦います。どうかお許しください。」

 
 このカルナの選択が正しかったのか間違っていたのか、それはわかりません。しかしどちらにしろ、これがカルナなのです。

 そしてクルクシェートラの大戦争において、カルナは悲しい最期を迎えます。予言どおり、カルナの馬車の車輪が地面にはまり、動かなくなってしまいます。
 そのような状態の自分を攻撃するのは武士道に反するとカルナは主張しますが、お前にそのようなことを言う資格はないとクリシュナに言われ、カルナは何も言えなくなってしまいます。そして躊躇するアルジュナをクリシュナが促し、今生の役割を終えたカルナは天に召されたのです。

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