運命と修行
運命に対するインドの考え方には、様々なものがあります。
インド占星術においても、過去のカルマにより、今生の運命はすべて決まっていると考えます。
完全にすべて決まっているのか、どの程度意志というものがそこに介入されるのか、それについてはいろいろな意見がありますね。
インド占星術を研究している私のある友人は、今生の運命はすべて完全に決まっていると考えています。
さて、私の意見はどうかというと、端的に結論を言うならば、
「基本的にすべて決まっている。
しかし修行の道に入った者に関しては、そうではない」
と考えています。
つまり、過去世のカルマに基づいて今生を生きる。そしてその人の「習性」、これもカルマです。だから通常は、あるカルマが今生返ってくる事は決まっている。それとともに、そのカルマが返ってきたときのその人の反応も、決まっているわけです。
だから普通は、運命はすべて決まっているのです。
しかしここに、聖者がくさびを打ち込みます。
ヨーガや仏教などの修行、あるいはそれを達成した聖者たちとの縁がその人にできると、その人の運命に、くさびが打ち込まれるのです。
なぜなら、これらの修行というものは、自分のカルマを超えること、あるいはカルマの法則そのものを超えることに主眼をおいているからです。
つまりカルマの法則に自分が支配されていることを知らない者にとっては、運命はすべて決まっているといっていいでしょう。その人の考えること、苦しみや喜びに対する反応、それらもすべてカルマなのですから。
しかし聖者と出会い、真理と出会い、そのカルマの法則というマトリックスの存在を学び、自分の悪いカルマを超える修行、あるいはその法則そのものを超える修行をするチャンスを与えられた者にとっては、ある意味での選択肢が出てくるわけです。つまり、
「今までのカルマの習性どおり、ここで愚かな道をとるのか、そうではないのか。」
「カルマを打ち破る修行の道を、どれだけ真剣に進むのか。」
これらについては、「決まっていない」と私は思うのです。
そう、ここからは我々の意志しだいです。
-
前の記事
新刊案内『聖者の生涯 第一巻』 -
次の記事
デーヴァプラタ