記憶想起
記憶想起こそが、修行者にとっての大いなる魔の罠である。
たとえば世俗的・感覚的な快楽の経験が過去にあったとして、我々のエゴは、その経験の記憶を何度も想起させたがる。
あるいは苦しみの経験があったとして、そのときの嫌な気持ち、そして誰かに対する嫌悪や怒り、嫉妬や批判心。それらの記憶を何度も想起させたがる。
そういうネガティブな思い、あるいは世俗的・感覚的な執着が、過去において瞬間的に生じてしまったのは仕方がないことだ。しかしそれを今になって何度も想起させる必要はない。
しかし我々はそれを何度も想起させ、よけいな煩悩、よけいな苦しみで自分の心をわざわざ満たし、苦しめる。
それに対する対抗法はいろいろあるのだが、まず最も簡単で効果的であり実行すべき方法は、そういうときに、念正智して、決して悪しき記憶想起が起きるのを許さずに、すかさず「良い記憶想起」をぶつけることだ。
正しい教えを実践したときの経験や、修行における素晴らしい思いや記憶を想起する。それができれば一番いいが、実際は悪しき記憶想起が起きているときはそういう余裕もないときが多いので、もっと単純なものでかまわない。
たとえば神や師や聖者の御名を心の中でひたすら唱える。
あるいは神や師の御名や栄光を歌った歌を心の中で歌う。
こういったことで、悪しき記憶想起に対抗すればいい。
執着や怒りなどの悪しき記憶想起が起きそうになる度に、上記のように、神や師の御名などを繰り返して唱える。
これは素晴らしい修行だ。なぜなら、そういう悪しき記憶想起の力が強ければ強いほど、そのようにして神や師の御名を唱える機会が増えるからだ。自分の悪しき心のシステムが、逆に修行を助ける要素に変わるのだ。
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