解説・バガヴァッド・ギーター(85)「ヨーガを成功させるには」
◎ヨーガを成功させるには
【本文】
『アルジュナは言った。
「おお、マドゥスーダナ様! あなた様が述べられた、すべてを平等に見るヨーガは、
動きやすく頼りない私の心では、しっかり実行していけそうにありません。
おお、クリシュナ様! 私の心は絶えず揺れ動き、すぐに力強く荒れ狂い、そして実に頑迷です。
ですから、私にとってこれを制御することは、風を意のままに支配する以上に難しいのです。」』
はい。アルジュナがね、「あなたが言っていることはちょっと実行できそうにありません」と。「難しいです」――で、それに対してクリシュナが答えるわけですね。
【本文】
『至高者はこうお説きになった。
「大いなる勇者よ! 確かに絶えず揺れ動く心を制御するのは難しい。
だが、クンティー妃の息子よ! 不断の修習と離欲によって、それが可能となるのだ。
怠惰な心を持った人にとって、ヨーガを体得することはきわめて難しい。
だが心を制御し、正しい方法で精進し、わがヨーガ修行は必ず成功するという信念を持つならば、必ず成功するだろう。」 』
はい。ここに書いてあるとおりですね、これもね。修習と離欲っていうのはよくヨーガで使われる言葉なんだね。修習と離欲。まず離欲っていうのは言葉どおりね、欲から離れると。できるだけ日々自分の欲をなくしていきなさいよと。そして修習っていうのは結局、繰り返し行なうと。
だからこれはいつもね、いろんな人が言うけども、「いや、私はこういう心のけがれがあってこれが落ちるとは思えない」と。「落ちるんでしょうか」と。「きれいになるんでしょうか」と。それは修習によって必ずなるんです(笑)。何故かというと、それは自分が今悪しき心と呼んでいるものもまた修習によって作られたものに過ぎない。つまり、もともとは原初のわれわれっていうのは純粋な真我であったと。でも修習によってここまで汚くしちゃったと。でも逆に正しい生き方を修習するならば絶対きれいになるんだね。
で、しかもその、何ていうかな――われわれが何となくこの世でけがしてきたパワーよりも、仏陀や神やヨーガのパワーっていうのは凄いから、それを信じてひたすら修習したならば必ず変わる。でもやらなければ変わりません。
これはだからヨーガのアーサナとかも同じだね。どんな硬い人だって修習していればいつかは必ずそれができるようになる。
肉体よりは心の方がちょっと掴みどころがないけども、心の世界っていうのもまったく同じなんだね。あるいはわれわれのカルマの世界っていうのも同じなんです。修習をひたらすらすること、つまり繰り返し繰り返し行なうことによって、必ずわれわれの心っていうのは、あるいはカルマっていうのはどんどん悟りへと向かっていくわけです。
はい、そして『怠惰な心を持った人にとってはきわめて難しい』と。つまり結局ね、また別の言い方をすれば、誰でもやればできるんです。悟りっていうのは。でもやんなければできないです(笑)。
だからちょっと否定的であったり、怠惰であったりして全くもしやらなかったら、もちろんそれは達成ありませんよと。どんなにけがれたカルマの人でも、もしやる気があってやり続けるなら誰でも達成します。
はい、そしてこれはよくヨーガ経典に出てくる言葉だけども、‘我がヨーガ修行は必ず成功する’っていう信念ね。これを持つならば必ず成功するでしょうと。つまり半信半疑で、「ああ、私カルマ悪いからできるのかな?」とか、あるいは、「え? ヨーガって本当にそんな力あるのかな?」とか思うよりは、「絶対成功する」と。今の私はこういう悪い部分いっぱいあるけどもヨーガの力は素晴らしいし、あるいは私は神に愛されてるし、私は懸命に努力するわけだから必ず達成するだろうと。そういう信念ね。それを持つならば必ず成功するでしょうと。
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