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解説・ナーローの生涯①(3)

◎順縁と逆縁

【本文】

 しかしその八年後、世俗の家庭生活に耐え切れなくなったガガナガルバは、ヴィマラディーピーに、
「私はもうこんな生活は耐えられない。私は現世を捨てて出家修行者になるから、お前は私と別れて、誰か他の人と結婚してもいいよ」
と告げました。しかしすでに仏教の修行やガガナガルバに対して強い信を抱いていたヴィマラディーピーは、
「妻に欠点があったと親達に言って、別れてください。そして私にも教えを与えてください」
と言いました。
 こうしてガガナガルバは離婚し、家を出て、僧院に入り、待望の出家修行の生活に入りました。このとき、二十五歳だったといいます。
 ガガナガルバは出家し、さまざまな教えを学び、また修行を進め、大変偉大な師として有名になりました。

 はい、二十五歳で離婚したので、つまり十七歳で結婚したということだね。十七歳で結婚して、まあ約束だったので結婚したんだけど、八年間その結婚生活を続けたが、もう耐えきれなくなったと(笑)。ね。だから心は本当に、出家し、清浄なる、世を捨てた修行者のところに、心はずっと向かってたわけだね。
 で、そうじゃなくて、奥さんがいて世俗の――まあいろんなね、一家の主となっていろんな日々のやらなきゃいけないことがいろいろあったりする。そういう中でずっと悶々としてたんでしょうね。でも八年経ってもう耐えきれなくなって、もうこんな生活は耐えられないと。現世を捨てたいから、お前はもう別れて誰かと結婚しなさいと。
 でもこの奥さんもできた奥さんっていうか(笑)、まあすでにもう、この奥さんも妻であると同時に弟子であったので、教えをいっぱい学んでたので、妻に欠点があったと親たちに言って別れてくださいと。そしてわたしにも教えを与えてくださいと。
 これはね、実はここ、さらっとまとめてあるんですが、もともとの本を見るともうちょっとリアルに書かれてて、そういうふうに相談して、実際にナーローは自分の両親と、それからこの奥さんの両親のところに言って実際に言うわけですね。何て言うかというと、「女性の欠点というのは数限りない」と。で、「うちの妻も本当に欠点だらけだった」と。「よって、わたしはもう別れたい」と。そしてその両方の親が奥さんに意見を求めるわけだね。こういうふうに言ってるけどどうなんだと。そしたら、その奥さんも「実はわたしは彼を騙していた」と。「わたしは本当に彼からいろいろむしり取ってやろうと思って、彼にひどいことをいっぱいやってきました」と。「だからもうわれわれは別れなきゃいけない」と。こういうふうに言うんだね。だからすごくできた奥さんなんだね(笑)。
 それによって別れて、ナーローは出家生活に入ったと。まあ、ここで奥さんの話はなくなるんだけど、奥さんも後々にまたナーローの弟子になるんだけどね。
 こういう夫婦を仏教用語でいうと、順縁っていうんです。順縁っていうのは、もともと修行者の縁で結びついた夫婦っていうかな。
 似たような話で例えば有名なのが、お釈迦様の弟子のマハーカッサパと、マハーカッサパとその奥さんっていうのがいて、で、これも似てるんだけど、マハーカッサパっていう人は同じように少年時代からすごく修行とかあるいは解脱とかを心に描いていて、一切世俗のものを嫌っていた。でもその親の強引な取り決めによって、自分は本当は出家したいって思ってたんだけど、親に強引に結婚させられちゃうんだね。しかし、奥さんの名前がバッダー・カピラーニーっていうんですが、この奥さんのバッダー・カピラーニーっていう人と結婚させられてしまうんだけど、そこで結婚したバッダー・カピラーニーが旦那さんと会ってね、二人きりになったときに言うわけですね、その奥さんが。「実はわたしは小さいころから、出家して清浄なる生活を送りたいと思っていた」と。「でも、親に強引に結婚させられてしまったんです」と。で、それを聞いてマハーカッサパは喜んだわけだね。「わたしもそうなんです」と(笑)。
 で、二人で一応ね、結婚という形はとるけども、二人でいっさい淫らな――淫らっていうかもちろん、結婚してるわけだから別にいいわけだけど、普通は。でもそういった、言ってみれば邪淫もせずに――まあ結婚してるから邪淫じゃないんだけど、本当は(笑)。でも厳しい意味で邪淫もせずに、神聖なね、生活を二人で送りましょうと約束するんだね。しかも二人でお互いの体にも触れないっていう誓いを立てるんだね。つまり二人で一緒の部屋に暮らすんだけど、一切体にさえ触れないっていう誓いを立てるんだね。
 あるとき、面白いのが、奥さんのバッダー・カピラーニーが寝てたら、何か体を触ってくる感じがした。寝てたらね。そこで一瞬、あ、うちの旦那さんはちょっと煩悩が出ちゃって(笑)、誓いを破ったのかなと思った。で、パッと見たら実際はそうじゃなくて、何か虫がいたらしいんだね。虫がいて、旦那さんがそれを取ってやろうとしたんだけど、でも体は触れないって誓いを立てたから、何か棒かなんかでこう取ってたんだね(笑)。で、棒がこう触れてた(笑)。それだけ厳しく守ってたんだね。
 で、その生活を数年続けたあと、このナーローの話みたいに、もう二人で限界がきたんだろうね。「もうやはりわれわれは世を捨てて修行者になりたいんだ」といって、二人で一緒に仲良く家を出てね、こう歩いて行くんだね。で、その場面もとてもかっこいいんだけど、こう歩いていって、で、途中で分かれ道になるんだね。分かれ道になったときに――当時はお釈迦様の集団にしろ、他の修行者の集団にしろ大体ね、男性の出家修行者と女性の出家修行者というのは完全に別グループなんですね。男女一緒で出家グループってないんですね。だから別グループに行かなきゃいけない。で、その二又に別れたときに、そこで二人で「じゃあ、ここで別れよう」と、「じゃあお互いに頑張ろう」って言ってこう別れていくんだね。
 まあ、そういうすごく全く愛着がない、しかし法で結びついてる夫婦っていうかな、そういうのは順縁っていうんだね。
 逆に、例えば表面上――表面上っていうのは、非常に仲が良いと。あるいはお互いに愛し合ってても、でも実は――順縁の逆で逆縁っていうんですけど、逆縁の人っているんだね。
 逆縁の人ってどういう意味かっていうと、つまり表面上すごく愛着し合い、仲がいいんだけど、でも修行においては足を引っ張り合うって関係があるんだね。これは表面上仲がいいっていうのは実はカモフラージュで、実はその二人は悪しき縁で結びついてる。
 例えば、よくあるパターンだと思うけど、例えばこのナーローみたいにどちらかが修行を極めたいって思ったときに、相手が、例えばだけどね、「いや、わたしを置いていかないでください」と。「わたしはあなたをこんなに愛してるんです。わたしを置いていくんですか」ってすがりつくと。で、ちょっと相手も諦めると。これは何か修行はできなくて残念だったけど、でも愛情深いですねって普通見るかもしれないけど、そうじゃないんです。つまり非常に魔的な関係なんだね。
 つまりこの引き留めた方が、ちょっとこういうこと言うとみんなどう思うか分かんないけど、潜在意識の奥の奥の方では、「こいつに修行なんかさせてやるか」って思ってるんです(笑)。そういうものすごい敵対関係なんです。
 だからちょっとこれはいろんなケースがあるので一概には言えないんだけど、分かりやすくいうと、分かりやすいケースでいうと、例えば前生とかでものすごく戦ってた相手、ものすごくいがみ合って、もうすごい憎しみ合ってた相手が、例えば夫婦になる場合がある。そういうときってこういうことが起こるんだね。表面上は今生のいろんな感覚で愛し合ってるような雰囲気にしてるんだけど、潜在意識では憎しみ合ってるから、で、しかも潜在意識では、例えば相手が修行し悟るっていうことが相手にとっての最高の幸せだってことが分かってるから、それを邪魔するんだね。
 だから非常に人間関係っていうのは分かりにくい。ものすごく仲睦まじい人が、実はそういう逆縁の場合もあるんだね。
 実はその全く逆もあるんだよ。全く逆っていうのは、例えばお互いにいがみ合ってると。しかしそのおかげで修行が進むと(笑)。こういうパターンもある。うん。これはね、でもこれはストレートな順縁ではないよね。ストレートな順縁ではないんだけど、もともとそういういがみ合うカルマがあるんだけども、それによってお互い修行者として縁もあって、そのいがみ合ったり傷つけあうことによってその修行が進んでいくカルマっていうか、これは結果的には順縁ってやつだね。結果的には順縁と。
 だからいろんな人間関係っていうのは、表面上ではちょっと分からないものがたくさんある。だから言ってみれば結果がすべてなんだけどね。結果その人が、表面的なものではなくて本質的に魂が進化していくような間柄ね。これは順縁であると。
 もちろんこちら側に、つまりみなさんの方に強い意志があれば、すべての縁は順縁に変えられます。だってこっち側の問題になるから。例えば相手が逆縁によって自分を傷つけてきたとしても、こっちがそれで成長しさえすれば、結果的に順縁になると。実は相手は徳を積んだってことになる。ね。
 あるいは相手が自分に執着したりして、すごく自分の修行が遅れそうになったとしても、それに引っかからないっていうか、それをしっかり断ち切ると。あるいは逆にそれを利用して相手を引きあげることができたとすれば、それは結果的には順縁になる。ただなかなか難しいけどね。
 はい、ちょっとまた話を戻すけど、これが順縁のパターンですね。
 よくわたしもいろんな人を見てきたけど、希望的観測により、そういう恋人同士でありたいっていうパターンがよくあるんだね。例えば恋人がいて、「いや、われわれは本当に前生から夫婦で……」とか言う人もいるわけだけど、わたしから見ると、いや、単に性欲でね、結びついた非常に煩悩的な間柄に過ぎないと。で、それはおそらく――これはケースバイケースなんだけど、例えばおそらくこれは、そこでくっつかないでしっかりと一人一人捨断してね、修行した方がいいのになって思っても、やっぱり自分の煩悩を肯定させたいがゆえに、そういう感じになるケースが多々あります、多々。
 わたしはもちろん、わたしが教えてた人もそうだし、わたしと関係ない例えばチベット系とかインドヨーガ系とかでもそういう人を多々見てきた。それ絶対煩悩だろうっていう気がするんだけど、「いや、運命で」とかいう人が結構いるわけですね。だからそれは気をつけた方がいいね。
 で、何度も言うけども、本当の順縁で結びついた法の友である夫婦っていうのは、まさにこういう関係なんです。もう完全にとらわれがないっていうかな。お互いの修行を進めることだけを考えてると。
 はい、で、まあこういう感じで離婚し、ガガナガルバの方は出家して、教えを学び修行を進め、大変偉大な師として有名になりましたと。

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