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解説・ナーローの生涯①(2)

◎結婚

【本文】

 ナーローの出身については、ある伝記では酒屋、別の伝記では王子となっています。ここでは後者の説に沿って話を進めていきたいと思います。

 ナーローは、西暦一〇〇〇年前後の頃に、東インドのある地方の王の息子として生まれ、幼名をサマンタバドラといいました。

 サマンタバドラは幼少時にすでにこの世の無常性を悟り、仏教を学ぶために、北インドのカシミール地方へと向かいました。十一歳のときにカシミールに着き、ガガナガルバという名前になって、仏教のみならず、さまざまな学問を学び、十四歳にして有名な学者となりました。

 その後、ガガナガルバは多くの学者を引き連れて故郷に帰り、仏教の教えを国中に広めました。

 しかしガガナガルバは一人息子だったので、両親の願いは、仏教の学問はそこそこにして、結婚して王位を継いでくれることにありました。そこで両親はガガナガルバに、結婚することをせがみます。ガガナガルバは、仏教に一生をささげたいと思っており、「結婚などしたら、修行の妨げとなる」と考えていたので、両親の懇願を断り続けましたが、もともとインドでは、親、特に父親の言葉は絶対です。特にガガナガルバは親思いだったので、両親の願いを断り続けることもできず、最後の策として、
「このような女性がいたら、結婚しましょう」
と、このような名前、このような家系、このような性格、といったたくさんの条件を挙げました。それは、ガガナガルバが結婚を避けるための作戦だったのです。

 しかし、まさに運命により、ガガナガルバが挙げた全ての条件に当てはまる、ヴィマラディーピーという女性が見つかってしまいました。こうしてガガナガルバは約束どおり、ヴィマラディーピーと結婚することになりました。ヴィマラディーピーはガガナガルバの妻であると同時に弟子となり、仏教の教えを学びました。

 はい、これは読んだ通りですけどね。ナーローっていうのは相当昔の人なので、いろいろ他の聖者もそうだけど、いくつかの伝記っていうかな、どういう家系とかどういうエピソードがあるっていうのはいろんな説があるんで、ここでも酒屋バージョンの話と、王子バージョンの話とあるんですね。で、王子だったっていう話の方が有名というか一般的なので、そちらの説に則って話を進めますと。
 で、ここに書かれてるように、小さいころは、おそらくもちろん前生からの仏縁によって、仏教の修行を小さいころから始めて、その当時のインドの有名な仏教の師がいるところに行って仏教をたくさん学んで、そして学者たちを引き連れて故郷に帰ってきて、仏教の教えを広めていたと。
 はい、しかしその、ガガナガルバね、ガガナガルバっていうこの当時は名前だったわけですが、王子様だったので、しかも一人息子だったので、当然親はしっかりと結婚して、自分の跡を継いでくれることを願ってる。
 ここで王子っていうのは、みなさん分かるかもしれませんが、いわゆるマハラジャっていわれる地方の行政官みたいな感じなんだね。王といっても、本当のみなさんがイメージするような大王みたいな感じじゃなくて、その地方の王という一つの行政官みたいなものだと思ってください。で、その息子だったわけですね。ですからそれを継いでくれることを父親は願っていたわけだけども、しかし仏教に身を捧げる決意を若いころからしてたガガナガルバは、それはもう断り続けていたと。
 しかしインドというのは、親、特に父親の意志っていうのは、言葉っていうのは絶対であって、しかも両親思いだったガガナガルバは、そこで苦悩したわけだね。で、それを何とか折り合いをつけるために、「わかりました。結婚しても構いません」と。「しかしわたしはこのような人と結婚したい」といって到底無理なような、つまりそんな人見つかるわけがないだろうというような細かい条件をバーッて挙げたわけだね。それが彼の作戦だったわけだけど。
 しかしこのガガナガルバ、ナーローは、結婚する運命にあったので、その結婚を避けるために挙げた条件に逆にすべて当てはまる娘が見つかってしまいましたと。で、それがこのヴィマラディーピーね。で、まあ約束だったので約束通り、最初はね、結婚する気はなかったんだけども、このヴィマラディーピーと結婚しましたというのがここまでですね。

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