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解説・アーナンダマイー・マーの教え(10)「日々忘れず」

◎日々忘れず

【本文】
十.以上のことを、一日中、忘れないようにしてください。
 これらを心に留めつつ、日々彼の名を繰り返し唱えることは、
 あなたが今生、そして過去世において犯したすべての罪を浄化するのに十分な力となるでしょう。

 これはまとめですね。ここに書かれたことを日々忘れないように――だから実際にね、これを一日一回でも唱えるっていうのは、とてもいいと思います。

 そして「彼の名を繰り返し唱える」――これは実際はバクティ・ヨーガの一つの修行の典型として、例えば「ラーマ」とか「ハリ」とか神の名前を繰り返し唱えるっていう修行があるんですね。ここでも「ゴーヴィンダ・ジャイ・ジャイ」の歌とかあるけども、ああいう歌を歌うとか。あるいは――ここではあんまり名前を唱えるマントラっていうのはやらせてないけども、このバクティ・ヨーガの教えでは日々神の名を唱えるっていうのがあると。

 ただ、実際の修行法においては、ここではいろんな他のやり方も入れてるので、ここは気にしないでいいです。バクティ・ヨーガ一本でもし行くんだったら、神の名を繰り返し唱えるっていう感じになるんだね。

 ただ、日々神の名を会話に出す。これはとてもいいことです。例えば、Mさんと話するときシヴァ神の話ばっかり出てくるわけだけど、これはとてもいいことなんだね。「先生、話があるんです」って来て、「シヴァ神が……」とかよくあるわけだけど(笑)、これは非常にいいことだね。

 まあ、なんでもいいんだけどね。例えば、「いやあ、クリシュナってこうですよね」とかね。あるいは、「いやあ、仏陀って」と。神とか仏陀の名前が日々会話で出る。これは素晴らしいね。

 『ラーマクリシュナの福音』を書いたMとか、あとナーグ・マハーシャヤもそうだったそうだけど、ナーグ・マハーシャヤは強引に、で、Mは自然に、いつも会話がラーマクリシュナの話になってしまうっていう話があって(笑)。

 つまり、ナーグ・マハーシャヤの場合は、誰かが変なこと話してたり――変なことっていうのは現世的な、例えば「あそこのパンおいしいよね」とか話してたりすると、わーってやってきて「さあ、ラーマクリシュナのこと話しましょう!」と。これがナーグ。

 で、Mの場合は逆にうまいんだね。「おお、あそこのパンうまいのか。そうか。ラーマクリシュナもあのパン好きだったよね」とか(笑)、なんでも自然にラーマクリシュナのことになっていくっていうかな。そういうのは素晴らしいね。

 だから、神とか仏陀とかの会話は日々すると。あるいは何気ない一言の中にも、そういったものが入ってくるとかね。例えば「ああ、雨が降ってきた。ああ、これも神の祝福ですね」――とかね。こういう何気ない話にも、そういうものが入るようになってくれば素晴らしいね。われわれの言葉のカルマっていうのは浄化されていくと思います。

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